倒産手続きを進め始めた大曽根は、事情を知って声をかけてくれた暁星の先輩が経営する和菓子店「うさぎや」で働き始めた。店頭で和菓子を売る仕事で、コメ屋時代に客とコミュニケーションを取るのに慣れていたから、苦にならなかった。
接客しながらも、ステーキ屋のことが頭から離れなかった。もしステーキ屋をやるなら、唯一の可能性は松栄米穀の店舗を改装することだったが、実家と店舗を手元に残すためには多額の資金を用意する必要があった。当時の大曽根には、なんの当てもなかった。しかし、想像もしないところから手が差し伸べられた。
「大曽根くん困ってるから、貸すよ」
小学生の頃からテニスをしていた大曽根は、松栄米穀で働きながらテニスクラブに通っていた。テニス仲間ができ、家に遊びに行っているうちに、その兄とも仲良くなった。
倒産が決まってからその兄弟と会った時、「店舗を残したいけど、手が出せない金額が必要で」と打ち明けた。それはグチのようなものだったが、その兄は「俺が貸そうか?」と言った。
「えっ⁉」と仰天した大曽根は、話を聞いて開いた口が塞がらなかった。友人兄は、事情があって使うあてのない大金を持っていたのだ。
「大曽根くん困ってるから、貸すよ」
友人から借金することの怖さもあった。しかしそれ以上に、「そのお金があれば、親父の家と店を手放さなくて済む。ステーキ屋を始められるかもしれない」という希望が湧いた。大曽根は言葉に甘え、勝負に出ることにした。
「見たことのない風景」で決意を固める
友人の兄から借りたお金で、無事に実家と松栄米穀の店舗を守ることができた2018年7月、ラーメン屋「凛」のオーナー、國分さんに「店の場所のめどがついた」と連絡した。すると2018年10月、異例のイベントを開催してくれた。
店が休日の日曜日に「凛」で1ポンドのステーキを焼いて、大曽根が炊いたコメとともに提供したのだ。これは、「ステーキ屋にどれくらいのお客さんが来て、どんな感じで手元にお金が残るのかを見せてあげよう」という兄貴分の心意気だった。
事前に店頭と凛のSNSで告知をすると、「ラーメン屋が1日限定でステーキ屋に⁉」と興味をひかれたファンが駆け付け、当日はオープン前に行列ができた。用意した60枚ちょっとのステーキはあっという間に売り切れた。
この日はコメを炊くことに専念していた大曽根は、お客さんがステーキを頬張りながら、おいしそうにコメを食べている様子を見て、「ダイレクトにお客さんの反応が見られて楽しい」と感じていた。振り返れば、コメ屋時代にそういう風景を見たことはなかった。
イベント終了後、國分さんからいつもの笑顔で、「どう? やる?」と聞かれた大曽根は、「やりたいです!」と頷いた。