目的達成を重視する子育ては必ず失敗する

【養老】現代は人生がカーナビに従う車のようになってしまった時代であると、しみじみ痛感しますね。ナビの案内に従えば、目的地までは効率よくたどり着けるでしょう。しかし、道中にこんな山があるとか、綺麗な花が咲いているといった道草を食う行為が忘れ去られてしまった。目的に向かって最短距離で走り続ける人生は、まさしくカーナビそのものです。

よそ見をしたり、道草を食ったりしながら、カーナビには絶対に出てこないルートを進むなかで、さまざまな実体験を積み上げていくのが人生だと思うのですが。

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【高橋】そうですね。子育てというのは、「将来どの大学に進み、どういう仕事に就くか」というように、目的達成を重視してやっていくと、いずれ裏切られることになる。「ああやってあげれば、こうなる」ということがないのが育児ですから。

教育や子育ての本質は、効率主義や成果主義の先にはないはずです。むしろ、無駄なことや遠回りした先に待っているように思います。

早期教育に意味はない

——高橋先生は「早期教育」について、どうお考えですか?

【高橋】昨今の社会的な要請の典型例ですね。子どもの意思にかかわらず年齢を繰り上げて学ばせるという。私の考えを申し上げれば、早期教育には大した意味はないけれど、やってみても構わないとの立場です。

大前提として、何かを早くできるようになることと、そうして習得したことが将来もっとできるようになること、は無関係です。早く自転車を買い与えたからといって、運動神経が良くなるかと言えばそうではないでしょう。

たしかに、幼少期の日常に日本語が欠如していれば、その習熟が疎かになるように、ある時期に経験しておかないとその後の発達に影響することはあります。それは遺伝的に仕込まれた能力とはいえ、その力を発揮するためには適切な刺激が適時に加わることが必要だからです。しかし早く始めたほうがさらに良いかというと、そのようなことはないのです。

とはいえ、「無駄なこと」を経験させるのも教育だとすれば、早期教育を全面的に否定するべきではない。努力が報われるとは限らないといった世の摂理に向き合わせることも、ある意味では立派な教育です。親は「せっかく高い学費を払ったのに……」と悔しがるかもしれませんが。