長い目で見て幸せになる人は何をしているか。昭和女子大学総長の坂東眞理子さんは「ときには欲望のままに行動するのではなく、少ない食べ物を家族や仲間と分かち合うことで、人類は生き延び繁栄してきた。人生も事業も、毎日ほんの少しだけでも他人によかれと思い、他人のことを考えて行動することが、結果的に自分の幸せを増やしてくれる」という――。
※本稿は、坂東眞理子『与える人 「小さな利他」で幸福の種をまく』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
「ちょこっといいことしたな」を積み重ねる
私は仏教の「三尺三寸の箸」のたとえが、気に入っています。
三尺三寸とは約一メートル。こんな長い箸で食べ物をつまみ、口に運ぶのは困難です。なかなかつまめなくて苦労し、やっとつまんでも、それを自分の口まで運ぶのも大仕事です。
ところがその長い箸で、ほかの人の口に食べ物を運んであげることなら容易にできます。自分では食べるのは難しくても、人に食べさせてあげる。そうすれば相手も「そうか」とわかって、今度は相手が長い箸でつまんだ食べ物を、自分に食べさせてくれます。
こうしてお互いに、win-win(助け合い)の関係が成り立つのです。
この仏教の説話では、地獄の餓鬼たちは三尺三寸の箸があっても、自分だけが美味しい食べ物を食べようと悪戦苦闘し、ほかの人がうまくいくのを妨げるので、みな飢えに苦しんでしまいます。
極楽では反対に、お互いに相手に食べさせてよろこんでいるので、みんなが美味しいものを食べられて幸せだ、という説話です。
とはいえ、自分が食べさせても、「相手がお返ししてくれるかどうかわからない」「相手だけ食べて、お返しもせず食い逃げされるかもしれない」「食べ物が十分ないなかで、相手にあげたら自分の分が残らず、返ってこなくてよいのか」など、いろいろな意見があるでしょう。
そんな“お人よし”では、厳しい生存競争社会では生き抜けない……そう考える人のほうが多いかもしれません。