自分の利益を守ろうと必死になると、自分が一番悔しい思いをする

たしかに他人は、自分の期待したとおりには行動してくれません。だから、相手が自分の期待したとおりの「お返し」の行動をしてくれるはずだと思うのは間違いです。

それでも「他人にいい思いをさせてなるものか」「自分が少しでも損になることはしない」と思って自分の利益だけを考えて行動していると、他人がうまくいっているのが腹立たしくなります。悔しくて邪魔したくなります。

しかし、自分の利益を守ろうと必死になっていると、地獄の餓鬼のように、じつは自分が一番悔しい思いをすることになるのです。

対照的に、極楽の住人のように「ほかの人をよろこばそう」「ほかの人がよろこぶとうれしい」と思って行動していると、お互いによろこびが増してきます。

相手によかれと思って行動していると、すぐには効果が見えなくても、思いがけないときに恵まれることがあります。他人によかれと思い、他人のことを考えて行動することが、結果的に自分の幸せを増やしてくれるのです。

女性の同僚のためにオフィスで誕生日パーティーを開く同僚
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自分の欲望を少し抑えることが大きな収穫をもたらす

「忘我利他」というのは、最澄(天台宗の開祖)の言葉とされています。「自分のことを忘れて他者のために尽くす」という意味です。

でも、そのような境地に至るには、最澄のように悟りを開いたえらい宗教家だから可能なので、自分たち凡人にはとうてい無理と思ってしまいます。

そこで、いきなりそんな高い境地を目指すのではなく、できる範囲で他者に尽くす、いつも自分の利益を最優先にしないで、たまにはほかの人のことを考える……そのレベルからはじめるのが現実的です。

自分が生きるために、目の前のえさに飛びつくのは、すべての動物の本能です。でも、ときにはその欲望のままに行動するのではなく、少ない食べ物を家族や仲間と分かち合う。ちょっとまわりを見て、もっと必要としている仲間がいると気づいたら、少し分けてあげる。

いま食べることのできるものをすべて食べ尽くしてしまうのではなく、若い芽や、まだ成熟しきっていない若い実を、将来のために取らずにおく、あるいはタネとしてまく――。

これが本能だけに振り回されない人間の理性です。

長い目で見ると、自分の欲望を少し抑えることが大きな収穫をもたらすことにつながります。利己心を少し抑えて節制した結果、人類は生き延び、繁栄してきたのです。

お箸の話からはじめたこともあって、食べ物ばかりを例に挙げましたが、食べ物だけではありません。