「トランプ=反知性主義」では何も理解できない
しかし、トランプを「反知性主義」と規定したところで、何も分からないだろう。というのも、「知性主義か反知性主義か」ということが選挙で問題になったわけではないからだ。そもそも、トランプを支持した人が、すべて「反知性主義」であったわけではない。
おそらく、トランプを批判する人たちは、「トランプ派=反知性主義=無知な大衆」といった図式を前提としたのであろう。しかしながら、これはあまりにもステレオタイプな見方と言うべきである。
では、トランプ派の戦略を理解するには、どう表現したらいいのだろうか。トランプがSNSを使ったメディアにおいて訴えたとき、いったい何を問題にしたのかが重要である。それをここでは、人々が抱く「無意識的な欲望」と呼ぶことにしよう。トランプは巧みなメディア戦略によって、こうした無意識的な欲望を喚起し、それに表現を与えていったように見える。
トランプの発言に仕込まれた無意識への“仕掛け”
もちろん、国民の無意識的な欲望に働きかけるのは、トランプ派だけではない。他の陣営にしても、同じように働きかけている。それにもかかわらず、人々がトランプを選んだとすれば、トランプ派のスローガンのうちに、自分たちの欲望の表現を見出したのである。
それでは、国民の無意識的な欲望を、いったいどう理解したらいいのだろうか。それが最もよく分かるのは、通称「PC」と呼ばれる「ポリティカル・コレクトネス」に対するトランプの態度である。
というのは、トランプはしばしば、「ポリティカリー・コレクト(politically correct)でないのは分かっているが、……」という形で言い訳をしたうえで、彼のホンネを語るのである。そしてこのホンネは、通常は表現するのが禁止されている人々のホンネでもある。こうして、国民の側としては、トランプの発言を聞きながら、思わず納得するという仕掛けになっている。