「メリー・クリスマス」さえ言えなくなった
「ポリティカル・コレクトネス」について言えば、アメリカで1980年代ごろから一般的に使われるようになった言葉で、人種・宗教・性別などにかんして差別や偏見を含まないように、表現や用語に注意することだ。最近は、日本でも同じような傾向が見られるので、言葉は別として、よく知られているだろう。以前だったら、ごく普通に使っていた言葉でも、今ではいろいろな言葉が「差別語」として、使用されなくなっている。
たとえば、「インディアン」は「ネイティブ・アメリカン」、「黒人」は「アフリカ系アメリカ人」、「ビジネスマン」は「ビジネスパーソン」などは、すでに一般化している。さらには、他の宗教を考えると、「メリー・クリスマス」さえ言えなくなっている。
これは、社会で地位を確立したエリート層にとって、とくに重大問題と言えるだろう。PCで定められた暗黙のルールを破ると、人々から糾弾され社会からも葬られることにもなりかねない。こうして、最近では、過剰とも言える傾向が生み出され、ますますエスカレートしている。
たとえば、以前だったら「人間」や「人類」を表現するとき、「man」を使い、代名詞としては「he」で受けていたのが、PCでは「女性差別」ということで許されなくなる。そのため、けっこう煩雑な表現をせざるをえなくなるのである。
「ポリコレなんてクソくらえ」トランプが代弁した本音
これに対して、トランプはあっさりと公言するのである。「この国にはPCなバカが多すぎる!」あるいは、「アメリカが抱える大きな問題は、ポリティカル・コレクトネスだと思う」。――これを見て、溜飲が下がる思いをした国民は少なくなかっただろう。
今まで、政治家にしても、エリートにしても、PCを攻撃することは、できるだけ避けてきた。「タブー視」してきたと言った方がいい。心の中では、PCのルールに必ずしもすべて同意するわけではないとしても、異議を唱えることは得策ではないと考えていたのである。ところが、トランプは、それをあっさり超えてしまったわけである。
トランプは白人たちの無意識的な欲望を、いわば代弁していると言えるだろう。今まで、PC的に抑圧され、検閲されて表に出すことができなかった鬱憤や怒りといったホンネの部分を、トランプはすっきりと表現してくれたわけである。こうして、トランプはPCを攻撃しつつ、国民の無意識を掬い上げていったのである。