「お客さん、ラーメン食べるの上手ですね」
「食べる者は最後の料理人」。それが私の信条です。せっかくの素材の良さや、料理人の腕を、自分の食べ方で台無しにしたくない。満喫して食べきりたい。自分のことで恐縮ながら、若い頃から幾度となくこんなことがありました。
お店でラーメンを食べていると、顔見知りでもない店主から「お客さん、ラーメン食べるの上手ですね」とか「美味しそうに食べてくれますね」と声をかけられるのです(もちろん、ほかに客のいないときに)。それで「なにを見てそう感じたんだろう?」「美味しそうってなんだろう?」と考え始めたのでした。
どんな料理にも、より美味しく味わう食べ方があります。難しいことではありません。誰だって、揚げたての天ぷらを放置したり、寿司飯が染まるほど醬油に浸したり、アイスを1時間かけて食べたりはしませんよね(私はコンビニのおにぎりだって、できるだけ美味しく味わいたい)。けれどラーメンは「どう食べようが自分の勝手だ!」になりがち。
よくわかります。ラーメンが強く愛されているからです。誰だって、我が子の愛し方に口を出されたくはないですもんね。ただ、少なくとも店側やほかの客への迷惑は避けたい。マナーやルールというより、想像力や思いやり。
一例としては、店内で「まずい」と口にすると、それが別の店の話でも、他人の耳は「まずい」という音だけを拾ってしまう……など。ラーメンと対峙すると、いつも私は「このラーメンはどう食べたら一番美味しくなるだろう」と考えます。それは小料理屋で、黒板の品書きを眺めながら、注文の順番を組み立てるような楽しさ。何十年も続けており、今ではほぼ無意識です。
麺を「丼のどこから抜くか」で味が変わる
私は麺を持ち上げることを「抜く」と呼びます。麺は、ただ垂直に持ち上げるのではなく、必ず「引き抜く」ことになるため。これを意識したのは「丼のどこから抜くか」で味が変わるからです。
メンマに胡椒が効いている場合、その近くから抜くと、いきなり胡椒の香りがしたり。仕上げにかけられた香味油や鶏油の位置にムラがあれば、抜く場所で味は大きく違います。ある店主と食事中に「青木君、ピザを裏返して食べてごらん」と言われました。半信半疑でやってみると、チーズやトマトの味と熱さがダイレクトに舌に当たり、より鮮烈な味わいに。
食べ方なんて自由だと言いながら、誰もが個人的な先入観や常識に縛られがち。そこから解き放たれれば、楽しみは無限になるのです。