当初は不振だったが…大ヒットを生んだ立役者

売り出されたクラウンには2種類があった。RS型トヨペット・クラウンは自家用車向け、RR型トヨペット・マスターはタクシー、つまり営業車向けだった。どちらにもRが付くのはR型という新型エンジンを積んでいるためである。

発売した1955年、「両車種を合わせて月産1000台」が目標だったが、実際には月600台ほどしか売れなかった。「本格的国産乗用車」と玄人くろうとには評判がよかったのだけれど、売れ行きはなかなか伸びていかなかった。

ところが、年が明けたら販売台数は急増する。発売と同時に買ったタクシー会社の運転手たちが「お客さんが乗り心地がいいと言っている」とアナウンスしたため、追随して購入するタクシー会社が増えたのだった。

野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)

クラウンは月産約800台のヒットとなり、10月には自家用車向けのクラウンだけで月産1000台になった。前年のこと、顧客のタクシー会社から「営業車用のマスターより、お客さんは乗用車のクラウンに乗りたがっている」と要望が出た。

そこで、個人オーナー向けを改良したクラウンのデラックス版(RSD型)を出したところ好評で、こちらもまたヒットした。

結局、初代クラウンはマイナーチェンジを繰り返し、7年の間、国産乗用車としてもっとも売れた車になった。

ちなみにRS型クラウンの販売価格は101万4860円。公務員初任給が8700円だったから、その116倍にあたる。普通のサラリーマンが10年間、懸命に働いてやっと買うことのできる価格だった。

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