「砂利だらけの道でも乗り心地のいい車を作れ」

彼の部下だったこともある豊田章一郎は不思議に思って聞いてみた。

「中村さん、どうして傘を差さないのですか?」

中村は「うん」とうれしそうな顔で答えた。

「章一郎くん、いいかい、雨の日に手を振って歩くとそでまでれる。しかし、ほーら、ぴたりとくっつけていれば頭と肩しか濡れないんだ。なっ、いい考えだろう?」

章一郎はそんなことをせずに傘を差せばいいのにと思ったけれど、余計なお世話だと思ったから、「はあ」と答えておいた。

だが、鼻っ柱の強さと人と違うユニークな考え方をする性格が新車の開発には向いていたのだろう。英二に抜擢ばってきされて主査になった中村は「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」という豊田綱領を体現して独自の開発方法を作り上げた。

英二が中村に与えた新車のコンセプトは「日本の道路を走っても、乗り心地のいい車を開発する」ことだった。

昭和30年代初めの道路舗装率はわずか1パーセントにすぎない。幹線道路以外はすべて砂利道だった。雨が降った日はぬかるみになり、風が吹けばホコリが舞い上がる。乾いた後、路面はでこぼこになる。そんな道を走っても、人が心地よく乗れる車を作ることが中村に課せられた仕事だった。

「それは無理」というエンジニアに中村は…

中村は開発メンバーを集めて、「みんなで市場調査をする」と宣言した。そうして、タクシー会社、トヨタ自販の販売店を回り、新型乗用車の大きさ、スタイルなどへの意見を集めて回った。トヨタが新車開発で本格的に顧客調査、市場調査を採り入れたのはこの時が初めてである。

一方、車の乗り心地をよくするために先進技術を取り入れた。前輪をコイルスプリング独立懸架方式にすることで、車体が上下に揺れることを減衰させた。中村が指示した設計だったが、当初、配下のエンジニアは「それは無理です」と反論した。

「コイルスプリングを使うと乗り心地はよくなります。しかし、耐久力はまだ証明されていません」

エンジニアの意見を聞いた中村はちょっと黙ってから首を振った。

「オレはもともと金属の専門家だ。鉄のことならみんなよりもよくわかっている。コイルスプリングの材質はよくなっているから、ちょっとやそっとじゃ壊れない。今回はこれで行く」