ウチの社会では「迷惑センサー」はあまり働かない
本書の第三章では、「人それぞれの社会」には、それぞれの選択に口を挟まない一方、引き起こされた結果にも関与しない冷たさがあることを見てきました。これは、ウチのなかでは、多少まずそうなことでも「人それぞれ」として流されてしまうことを表しています。この章では、お店での飲酒が認められているものの、自粛ムードが漂う中で飲み会をした様子をSNSにあげたバッハさん(ハンドルネーム)と同席したコーツさん(ハンドルネーム)の事例を紹介しました。その飲み会の場でも、コーツさんはバッハさんに特に強い意見は言いませんでした。ウチの社会では、迷惑センサーはあまり敏感にはたらかないのです。
しかし、ソトの社会はそうではありません。誰かが社会に迷惑をかけていると認定された瞬間、立ち上がる人が少なからずいます。法に触れるような悪事をしたわけではないバッハさんは、ネットでつながったソトの人から迷惑認定をされ、誹謗中傷を受けてしまいました。このような現象は日本社会では頻繁に見られます。
迷惑センサーの典型「自粛警察」
新型コロナウィルス感染症が流行りだした頃、「自粛警察」という言葉を耳にするようになりました。意味合いは、世の中に迷惑をかけた(かけそうな)人に対する自主的な取り締まり、というところでしょうか。2020年4月には、自主休業していた駄菓子やさんに店を閉めるよう求める張り紙が貼られました。その後も、政府の自粛要請に協力しない人びとを私的に取り締まる動きが見られています。事例のバッハさんも、自粛警察にタップリお灸を据えられてしまいました。自粛警察は、まさに、迷惑センサーの典型とも言える現象です。
2021年の7月は、梅雨が明けると大変な猛暑が襲ってきました。それでも外に出る人は赤い顔をしながら、マスクをつけています。よくよく理由を聞いてみると、コロナウィルスが怖いのではなく、マスクをしないことで、周りからとがめられるのが怖いという人が少なからずいます。屋外に一人でいて、誰かと話すわけでもなく、人との距離もそれほど近くなければ、マスクをしなくてもよいと思うのですが、そうはしません。迷惑センサーの強さを感じます。