「まずはお金を稼ぐこと、無理なら社会保障」という仕組み

他者に危害を加える行為は、「人それぞれの社会」であっても許されません。この点については、ていどの違いはあれども、どの社会でもほぼ共通しています。むしろ、ヨーロッパやアメリカのほうが、ハラスメントや人権問題には敏感でしょう。「人それぞれの社会」で特徴的なのは、「人それぞれ」の行為を「社会への迷惑」というセンサーで監視するシステムを作り上げたことです。

本書の第一章でお話ししたように、かつて、私たちの生活は、身近な人と共同・協力することで成り立ってきました。生活をしていくためには、血縁や地縁と協力することが、何よりも重要でした。

その後、経済的な豊かさを獲得し、一定の資産がない人を救う社会保障制度が整えられると、身近な人と共同する機会は格段に少なくなります。私たちの生活は、身近な人間関係のなかにではなく、お金を使うことで得られる商品・サービスと、行政の社会保障にゆだねられているのです。この点については、つぎのように言い換えることができます。「私たちが生きていくためには、お金を稼ぐことが何よりも重要です。しかし、どうしてもそれができない人は社会保障をお使いください」。私たちの生活は、このような仕組みで成り立っているのです。

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「誰かに頼ること=迷惑」となってしまった

自らお金を稼いで、そのお金を使うことで生活を維持する社会では、誰かに頼ることが難しくなります。というのも、誰かに頼る行為は、お金を稼ぐ努力の放棄や怠慢を意味するからです。つまり、誰かの手を煩わせるということは、本人の怠慢や努力不足による「迷惑」となってしまうのです。

社会や他者に迷惑をかけた人は、激しく攻撃されます。さまざまな行為を「人それぞれ」と容認する社会は、「迷惑」というセンサーで個々人を監視する社会でもあるのです。

さて、この迷惑センサーなのですが、ウチとソトでやや違った働き方をするようです。かつてのさまざまな日本人論では、日本人は仲間ウチでは「甘え」がある一方、ソトに対しては気遣いが少ないと言われています。このような気質は、現代社会でも多少見られます。「人それぞれの社会」では、ウチに属すると思われる友人に対しても、否定的な意見を言わないよう、あるいは迷惑をかけないよう、かなり気を配ってきました。しかしながら、「これはまずいんじゃないかな」、「やらない方がいいんじゃないかな」という行為については、「人それぞれ」ということで、さして諫められることもなく流されてしまうことが多々あります。