2010年代に増えた「不倫した芸能人の謝罪会見」

芸能人の謝罪会見からも、迷惑センサーのはたらきを読み取ることができます。2010年代半ばあたりから、不倫した芸能人の謝罪会見が増えてきました。本来、不倫は個人的なことであり、家族を含む当事者で話し合えば済むことです。しかし、彼・彼女は、そうはしません。会見する方々は、いったい何に対して謝っているのでしょうか。

会見を見ていると、「お騒がせして申し訳ございませんでした」という言葉をよく耳にします。つまり、会見を開く方々は、自らの行為で世の中を騒がせ、迷惑をかけたことを謝っているのです。有名であるゆえに、個人的なことでもソトから迷惑認定されてしまう。芸能の道を生きるのも大変です。

コンファレンス用マイク
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです

過度な迷惑センサーが社会を「生きづらく」する

世間に迷惑をかけた影響は、意外なほど長く、深刻になることもあります。「キャンセル・カルチャー」という言葉をご存じでしょうか。アメリカ由来の言葉で、問題を起こした人物や企業をキャンセルする――つまり、解雇したり、不買運動を行う文化をさします。

日本でもこのような傾向はみられます。不倫をした芸能人は、露骨に表舞台から排除されますし、世の中に迷惑をかけた人は執拗なまでにたたかれます。

コロナ禍では、国や都道府県、市区町村に勤める公務員がお店で懇親会をするたびに、大手の新聞に掲載されていました。たしかに、お店での飲食を控えるよう要求されているなかでの懇親会はよいことではありません。しかし、それは、組織のなかで処理すればよいことではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。

それをわざわざ、読売や朝日などの大手の新聞で取り上げて、なおかつ、当事者を処罰すべきだと周囲が騒ぎ立てる姿に、私は怖さを感じます。過度な迷惑センサーは、萎縮を生み出し、私たちの社会を却って生きづらくさせてしまっているのではないでしょうか。キャンセル・カルチャーは、本章の前半で扱った多様性の文脈でもたびたび登場します。2021年に行われた東京オリンピックでは、「差別的な発言をした」と判断された人が次々と表舞台を去りました。