「“娘の夫”という呼び方に気持ちが表れている」

週刊新潮(12月9日号)はさらに手厳しい。「『放任教育の果て』を省みない『秋篠宮』」として、皇室ジャーナリストにこういわせている。

「(誕生日会見で=筆者注)“娘の夫”という呼び方にも、名前すら口にしたくないというお気持ちが表れています。これから事態が覆るわけでもないのに、儀式を取り止めるという判断をなさったご自身が、他人を非難することでお考えを説明するというやり方は、皇位継承順位一位というお立場にあることを考えれば由々しきことです」

このような成り行きになったのも、

「秋篠宮家の教育の帰結であることは疑うべくもありません」

と難じるのである。

さらに家族カウンセラーの山脇由貴子は、

「これまで秋篠宮さまは、高齢になってからのご即位に難色を示されたと報じられ、また大嘗祭のありかたに疑念を呈されたりしてきました。そのように自由なご発言を繰り返すお父上から、結婚に際して親の言うことを聞くように言われても、眞子さんが“今さら何を言っているのか”と反発されて当然だと思います」

あなたのような育て方をしていれば、娘が自由恋愛の末に「駆け落ち婚」するのは当然ではないか、ともとれるいい方である。

まさに四面楚歌。秋篠宮は天を仰いで嘆息するしかないのではないか。

眞子さんを慕っていたといわれる愛子さまは…

兄・天皇と弟・秋篠宮の人生はいつから逆転してしまったのだろう。

自由奔放に生き、順調に見えた弟の人生は、長女の結婚問題を機に躓いてしまう。

一方、兄のほうは、妻の病気や一人娘の不登校などで苦労したが、妻の病気も回復に向かい、娘は見違えるように溌剌として成人を迎えた。

週刊文春(12月16日号)はグラビアページで「淑やかに麗しく」とタイトルをつけ、愛子さんの写真を掲載している。

以前よりほっそりして、母親の雅子皇后によく似てきたように思う。

兄の長女の晴れやかな姿を、秋篠宮夫妻はどのような思いで見ているのだろう。

愛子さんは子どもの頃から、10歳年上の眞子さんを慕っていたといわれる。

実の姉のような眞子さんから、成人したお祝いの言葉をかけてもらいたかったのではないか。

だが眞子さんは、追われるように皇籍を離脱しニューヨークへと旅立ってしまった。

愛子さんは、自分に結婚したい相手が現れても、私は両親を悲しませるようなことはしない、そう心に決めているのだろうか。