「結婚以上に、外の世界に飛び出したかった」
「小室眞子さんは、もう何があっても日本に戻って生活することはないかもしれない」
こう書いたのはスポーツニッポンで眞子さんの写真を2000枚撮り続けた岸良祐記者である。
「(眞子さんの=筆者注)その表情が一転したのは、11月14日の渡米の日。羽田空港の搭乗口を通過直後、眞子さんと小室さんは目を見合わせてほほ笑みあった。
米国の空港に到着し、関係者らにガードされながら送迎車に乗り込む際には、うれしそうに笑みを浮かべた。これまでファインダーをのぞいていた自分は一度も見ることができなかった笑顔。それを見た時『眞子さんは結婚以上に、外の世界に飛び出したかったんだ』と確信した」(12月18日付スポニチより)
小室圭との婚約延期以来、公務の際にも見せることがなかった笑顔を、日本を発つ飛行機の搭乗口からニューヨークに着いても取材陣に撮らせていたと知ったら、秋篠宮と紀子さんはどう思うのだろう。
なぜ、娘はそれほどまでに皇室という世界から離れたかったのだろう。自由に育て、学習院ではなく国際基督教大学にも行かせたのに、どこでどう間違ってしまったのか。両親の頭の中では、混乱と後悔が渦巻いているのかもしれない。
週刊文春(12月9日号)は「『娘の離反』を生んだ秋篠宮家『15年の蹉跌』」と題して、宮内庁関係者にこう語らせている。
秋篠宮家の育て方に問題があったのか
「眞子さんは、秋篠宮さまが『納采の儀は行えない』と述べざるを得なかったお立場についてはよく理解していた。しかし、自分の結婚の意志は揺らがない。だから話をしても仕方がないと考えられておられたのです。
また、眞子さんは自身の結婚問題で家庭の雰囲気が悪くなることが、思春期の悠仁さまに与える影響を非常に心配していました。だからこそ家族が集まる場で、結婚の話題が出ることはありませんでした」
秋篠宮は眞子さんの結婚問題を積極的に解決しようということもなく、ただ見守るだけで、いたずらに時間だけが過ぎていったというのである。
こうなってしまったのは秋篠宮家の育て方に問題があったのではないかと、こうもいわせている。
「秋篠宮さまが『納得できるものではない』と批判なさった小室さんの金銭トラブル説明文書も、結婚会見が一方的なものになってしまったのも、秋篠宮さまが介入も助言もされることなく、眞子さんの“自由”と“自主性”に委ねられた結果なのです」
父親が責任を放棄してしまったから、国民の多くが祝福しない結婚、渡米につながったのだといわんばかりである。