自立して生きる力を授ける

棚原さんが夫の長一さんと山田西リトルウルフを立ち上げたのは、1972年のことである。長一さんは野球、棚原さんはソフトボールを実業団でやっていたこともあり、尼崎から吹田に転居してきたことをきっかけに学童野球のチームを作ろうと思い立った。

子どもたちは古紙回収の“仕事”をしてチームの運営費にあてる。保護者の負担をできる限り減らす。(写真提供=山田西リトルウルフ)

近所の子どもをリクルートしながら団員を増やしていき、いまや総勢140名。野球人口が減少を続けるなか全国でも屈指の規模を誇り、OB・OGは実に1200人を超える。指導者の人数も約30名と半端ではなく、そのほとんどがリトルウルフの卒業生とその保護者によって占められている。

棚原さんの目的は試合に勝つためでも、未来のプロ野球選手を育てることでもなく(実際にはいるのだが)、あくまでも子どもたち一人ひとりに自立して生きる力を授けることにあるという。目に見える業績を追い求めることなく、50年の長きにわたって組織を維持していくのは、至難の業だろう。

「なんで私が自分のことを『おばちゃん』って呼ばせているかといったら、権力を持ちたくないからなんです。権力を持った人って、子どもからしたらめっちゃ怖いんです。権力を持たないでチームをまとめていくことが大事なんですわ」

権力も肩書もないが、強烈な求心力がある

現在、リトルウルフの総監督を務めるのは、棚原さんの三男の徹さんである。棚原さんは元監督とは言うものの、いまは権力どころか肩書すらない。しかも、「おばちゃん」という呼称は、子どもだけでなくコーチ陣も使う。「おばちゃん、ネット破れたから買うてや」と、白髪交じりのコーチが言うのをたしかに耳にした。棚原さんには権力だけでなく、肩書という権威もないのだ。なのに、強烈な求心力を持っている。

撮影=水野真澄
「あんな癖つけたらあかんわ」と子どもたちのフォームについてスタッフとも確認していく。

「難しいことは言わんと、おばちゃんおばちゃんって呼ばれたら、ハイハイなんですかーって動けばいいんです。私はこのグラウンドの中で最年長ですけど、立場は子どもと一緒やと思っています」

それで、組織のガバナンスを維持できるのだろうか。

「できます。子どもに物を言うとき、命令せんと、こちらの心を伝えるんです。何でこういうことを言うのかという心を、子どものハートに向かって伝える。自分が言われて嫌な言葉を使わないようにしていれば、自然と心が伝わるようになっていきます。もしも、上の人間が権力をかさに物を言うようになったら、下の者は言いたいことが言えなくなってしまうでしょう。そんな組織はお終いですよ」

恐怖で縮み上がらせて子どもを支配するのではなく、丁寧な言葉でこちらの思いを子どもに投げかけていく。それはとてつもなく胆力のいる接し方だと思うが、棚原さんにはその胆力があるのだ。

その胆力の源は、終戦直後の誰もが貧しかった時代にあるらしい。