寿命より成長が遅いがんは病気ではない

「がんか、がんでないか」もまた、単純な命題ではない。健康な人の体にも、絶えずがん細胞は生まれている。毎日、細胞分裂の過程でがん細胞は現れ、免疫によって排除される。つまり、「がん細胞が体にある状態」は、「がん」という病気ではない。

がん細胞が増殖し、周囲の臓器を破壊する(ことが予測される)などして、命を脅かすポテンシャルを持ったとき、初めて病気と見なされ、医療が介入するのだ。がんのように、一見すると「病気らしい病気」であっても、健康との境目は意外に明白ではない。

実は、亡くなった人の体を解剖すると、偶然に前立腺がんが見つかることがある。その割合は、50歳以上の約20パーセント、80歳以上では約60パーセントにも及ぶ(4、5)。この前立腺がんは、おそらく不快な症状を起こさず、命を脅かすものでもなかったため、発見されないまま宿主が死を迎えた。

このようながんを「ラテントがん」という。「ラテント(latent)」とは「潜伏」という意味だ。これらの多くは、進行が極めて遅いために「寿命のほうが先に来た」と言い換えることもできるだろう。

では、死後にラテントがんが見つかった人は、「生前は病気だった」といえるのだろうか? 何の症状もなく、周囲の臓器に影響を与えることもなければ、命を脅かすこともないとしたら、そのがんは病気だろうか?

少なくとも寿命より成長が遅いがんであるなら、診断される必要はなかったことになる。がんであるのは事実だが、病気は「必要に迫られて定義するもの」なのだから、このがんは病気とはいいがたい。

もちろん、ほとんどのがんは、見つかった時点で病気と呼ぶのが一般的だ。なぜなら、放置すると命を奪うであろうことが、数々のデータから高い確度で予測できるからだ。だが、真に治療が必要かどうかは、タイムマシンを使って「放置した未来」を見ない限りわからない。

人間の判断を超えた、何らかの確定的な指標が「病気か否か」を決めるのではない。人間がひとまず「病気か否か」を決めるのである。

「リスク因子」を見つける大プロジェクト

「フラミンガム研究」という歴史的に有名な研究がある。1948年から、ボストン郊外のフラミンガム町に住む5000人以上の男女を詳細に追跡し、心血管にかかわる病気の危険因子を明らかにした研究だ。

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当時アメリカでは、心筋梗塞などの心血管病でおびただしい数の人が亡くなっていた。感染症による死亡が激減する反面、心血管病患者は急速に増え、死亡原因の1位を独走するようになっていたのだ。だが、当時その原因は全くわからず、予防する方法もなかった。国家を揺るがすこの国民病に、多くの人たちがなす術なく命を奪われていたのだ。

このような時期に国立衛生研究所(NIH)が立ち上げたプロジェクトが、フラミンガム研究だった。1つの町の住人を長年にわたって調査し続け、「どのような人が心血管病になりやすいか」を探り出す世界初の大規模前向き研究に、アメリカは国家をかけて莫大なコストを投入したのである。