アメリカ・ソ連・ドイツの三つ巴になっていた太平洋戦争前夜
1920年代におけるワシントン体制下の相対的安定期の後、ソ連は大幅な軍拡(1928~1935年)を図り、1933年にドイツでは現状打破志向のヒトラー政権が誕生した。
1935年になると国際システムは、現状打破の極(独・ソ)が現状維持の極(米)に対して、優位でかつ不安定な三極構造に変化する。すなわち、太平洋戦争に至るこの時、国際システムの相対的パワーの分布についていえば、アメリカとソ連とドイツが三つ巴の状況にあったのである。
新古典派リアリストのランドール・シュウェラー(Randall L. Schweller)によれば、国際システムにおける三極構造(tripolarity)は本質的に危険である。なぜなら、三極構造においては、二極が手を組んで、残りの一極を攻撃するインセンティブが高いからである。
このことを論証したシュウェラーの著書『致命的な不均衡(Deadly imbalance)』は、そのタイトルからして、まさに三極構造の危険性を的確に表していよう。なお、シュウェラーは、①国際システムの三極構造と、②ヒトラーの現状打破的動機が組み合わさって、第二次世界大戦が勃発したと論じている。
国際システムの三極構造の下、日本は日独防共協定(1936年11月25日)と日独伊防共協定(1937年11月6日)を締結して諸外国に対して、国際協調路線を捨てて枢軸陣営へ参入した印象を強く与えていく。
太平洋戦争を決定づけた日独伊三国同盟
その後、日本の東亜新秩序声明(1938年11月)および北部仏印進駐(1940年9月)、アメリカの日米通商航海条約廃棄通告(1939年7月)および石油と屑鉄の輸出許可制(1940年7月)を経て、日独伊三国同盟(1940年9月27日)、日ソ中立条約(1941年4月13日)が締結され、真珠湾奇襲に至る。
ここで注目したいのは、日独伊三国軍事同盟が形成された時点で、国際システムは日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側と、アメリカ、イギリス、フランスの連合国側に明示的に二分されたということである。
このことから、国際システムの構造レベルで考えたとき、太平洋戦争の回帰不能点(point of no return)の一つは、日独伊三国軍事同盟が締結された時点にあったと考えられる。つまるところ、システムレベルでいえば、①三極構造が本質的に不安定であることに加えて、②1940年の時点で、国際政治の勢力図が枢軸国側と連合国側に明示的に分かれたことが、太平洋戦争の原因と考えられるのである。