民衆の前で「帝国の幻想」を語った近衛文麿
防御的リアリストのスナイダーは、戦前の日本では好戦的なエリートが「帝国の幻想(myth of empire)」を喧伝し、陸軍と海軍の間で予算獲得をめぐるログローリング(logrolling)がなされていたと論じている。
たとえば、1937年9月11日、日中戦争が拡大していくなかで、近衛首相は日比谷公会堂で行われた国民精神総動員大演説会で、以下のような「帝国の幻想」を誇張して、満員の聴衆に向け国民一丸となり戦うことを求めている。
以上、なぜ日本が太平洋戦争という負け戦に踏み切ったのかというパズルに、リアリズムの視点——①国際システムの三極構造、②脅威に対するバランシング、③ログローリングと「帝国の幻想」、から答えてきた。
ところが、ここで読者の中には、第二次世界大戦で日本が勝つシナリオはあったのか、あるいは対米戦争を回避する手立てはあったのだろうか、といった素朴な疑問を抱くものもいるかもしれない。
こうした問いに答えるのが、政治学者のリチャード・ネッド・ルボウらが提示する「反実仮想(counterfactual thought)」という方法論である。そこで、最後に、この反実仮想に基づき、第二次世界大戦の帰趨について想定されるオルタナティブを一つ考えてみよう。
太平洋戦争を回避できるシナリオはあったのか
すなわち、対米戦が回避されたというシナリオである。これはリアリズムでいえば、「同盟分断理論(wedge theory)」が想定するものであり、日本が同盟分断戦略(wedge strategy)——敵対同盟国間に楔を打ち込む——をとって、アメリカと他の連合国(英仏蘭)の間の分断を図ったというシナリオである。
たとえば、南進や対中進出をするにあたり、英米可分論——アメリカとイギリスを分断できるという戦略的前提——に立ち、アメリカとの直接的な対決を忌避していれば、第二次世界大戦に対するアメリカの介入を防げて、これにより、日本はアジアにおける地域覇権を確立できたかもしれない。
植民地主義を長年とっていたイギリス、オランダ、フランス等の伝統的な西欧列強に対して、アメリカという国際政治における後発の大国には反植民地主義のイデオロギーが根付いていた。さらにはアメリカには、西半球の地域覇権を維持しつつも、他国とは積極的にかかわらないという孤立主義の伝統もあった。
この反植民地主義と孤立主義が蔓延する国内政治・社会的状況の下、真珠湾奇襲のような日本からの直接的な攻撃なくして、イギリスの植民地支配を擁護するために極東の地で日本と戦争することに、アメリカの国民がどこまで賛意を示したのかは疑わしい。
具体的にいえば、インドシナをはじめとする伝統的西洋諸国の植民地を日本が攻撃していったからといって、アメリカの指導者は旧大国の植民地を守るために、コストのかかる対日参戦に向けて国民を説得することはできなかった可能性があるということである。