約8倍の国力を有するアメリカに宣戦布告

1941年12月8日、ハワイの真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、350機の日本海軍の攻撃機が奇襲を開始した。太平洋戦争の開戦である。

1941年12月、ハワイの真珠湾を攻撃する前に、空母から離陸する準備をする日本の飛行機。
写真=GRANGER/時事通信フォト
1941年12月、ハワイの真珠湾を攻撃する前に、空母から離陸する準備をする日本の飛行機。

しかし、なぜ日本は日中戦争の泥沼にはまる中、天然資源の最大の輸入国であり、約8倍の国力を有するアメリカに対する負け戦を始めたのだろうか。日本人にとって特別な意味を持つ戦争である、この太平洋戦争の原因について、国際関係理論(international relations theory)は興味深い示唆を与えてくれる。

リベラリズムの視点からすると、戦前の日本の国内体制は未成熟な民主主義で、好戦的な軍人に文民政府がハイジャックされた結果、非合理的な拡張主義的戦争が起きたということになる。

ドイツの哲学者カントは『永遠平和のために』で、平和の条件として、民主主義(共和政)、経済的相互依存、国際制度の3点を挙げたが、少なくとも、当時の日本はそのうちの一つの条件(この際、民主主義)を十分に満たしていなかったということである。

石油全面禁輸で「戦争をするしかない」と考えるように

政治学者のジャック・スナイダー(Jack Snyder)が的確に指摘しているように、早熟な民主主義国の日本が現状打破的な政策を明示的に打ち出したターニングポイントが満州事変(1931年)であり、そこから太平洋戦争にいたる日本の拡張主義的政策がエスカレーションしていったのである。

また、リベラリズムによれば、逆説的だが、経済的相互依存も太平洋戦争の一つの原因になっていたといえる。

政治学者のデール・C・コープランド(Dale C. Copeland)は貿易期待理論(trade expectation theory)というリアリズムとリベラリズムを混合した理論を提示する中で、「日米間の戦争は……高度な依存状況のもと、次第に増していく悲観的な貿易の見込みという一つの主な原因に駆り立てられていた」と結論づけている。

すなわち、石油等の天然資源の大部分をアメリカから輸入していた日本は、アメリカからの石油全面禁輸を受けて、経済的相互依存について暗い見通しを抱くに至り、戦争をするしか国家の生存を確保することはできない、と考えるようになったというわけである。