主張はいたってシンプルだ。「問題を解決したいなら机上で考えるのではなく、現場を徹底的に調べろ」ということだ。
作品の冒頭はこのようにはじまる。
きみがある問題について調査をしていなければ、その問題についてきみの発言権を停止する。それはあまりにも乱暴ではないか。すこしも乱暴ではない。その問題の現在の状況と歴史的な状況を調査しておらず、その実情を知らないのだから、その問題についての発言はでたらめにきまっている。でたらめでは問題は解決できないことは、だれでも知っている。
(p.1)
会社の会議でも一言言わないと気がすまない人間が一人や二人いるはずだ。しかもそういう人に限って思いつきでものを言い、さらには声が大きい。
結果的にまったく根拠のない、非合理的な意思決定がなされることはよく起こる。毛沢東は、そのような党員を戒めた。極めて正しい主張であり、毛沢東には徹底してこのようなプラグマティズムがある。
にじみ出る経営者としての焦燥感
最近ベンチャー企業ではブレインストーミングをよくするそうだ。意見を広く集めることが目的で、他人の意見を否定しない共通認識のもと行われている。アイデアの発散方法としては理にかなっているかもしれないが、議論の土台が現実に紐付いていなければ、金と時間の無駄となる。
当時の中国共産党もベンチャー企業のような存在だった。一時期はベンチャーの先輩格である国民党と組んでいたが、その国民党が中央政府を支配するようになると独立路線へ舵を切る。そしてついには国民党に武装蜂起を仕掛けるも、失敗してしまう。
まさに風前の灯。捕まったら殺されるという切迫感のなか、中央政府の影響を受けづらい地方の農村をひとつひとつ共産党の支配下に変えていく必要があった。だからこそ毛沢東の言葉は重いのだ。
彼はこうも言っている。
(p.2~3)
理屈で考える前にまずは汗をかけということだ。経営者としての焦燥感が伝わってくる。