なぜ毛沢東は中華人民共和国の「建国の父」となれたのか。作家の佐藤優さんは「かつての中国共産党はベンチャー企業のような存在だった。蒋介石率いる国民党から逃れ、地方の農村をひとつずつ支配下に変えていく必要があった。だから初の著作はビジネス書のように読める」という——。

※本稿は、佐藤優『危ない読書 教養の幅を広げる「悪書」のすすめ』(SB新書)の一部を再編集したものです。

独裁者・毛沢東の意外な一面

世界屈指の強国となった中華人民共和国の生みの親は、1949年に同国を建国した毛沢東である。レーニン主義者である毛沢東は、ソ連を参考にしながら国づくりに励んだ。

1959年、中華人民共和国国慶節前夜の毛沢東〔写真=Qingbiao Meng(新華社通信社中央報道チーム写真部記者)、Hou Bo(新華社通信社中南海特派員)/public domain/Wikimedia Commons〕
1959年、中華人民共和国国慶節前夜の毛沢東〔写真=Qingbiao Meng(新華社通信社中央報道チーム写真部記者)、Hou Bo(新華社通信社中南海特派員)/public domain/Wikimedia Commons

彼はヒトラーやスターリンと並ぶ大量虐殺者でもあり、世間の評価はすこぶる悪い。そんな彼が書いた本をわざわざ読む人も稀だろう。しかし、あれだけの領土と人民をひとつの世界観で統一し、いまの中国の発展の礎をつくったことは事実である。

毛沢東の著作はイデオロギー過剰なものが多く、いまの若い世代にはとっつきにくいはずだ。

しかし実は現代のビジネスパーソンにも役立つ作品がいくつもある。今回紹介する『書物主義に反対する』もそのひとつだ。

古書でしか手に入らないものの、『毛沢東著作選』(外文出版社)や『毛沢東論文集』(東方書店)などの選書集に入っているので古本屋でも比較的入手しやすいはずだ。

ちなみに『書物主義に反対する』のリーフレット版(外文出版社)は文庫本より小さい判型で、わずか二十数ページの薄さである。本記事では、このリーフレット版から文章を引用する。

「調査なくして発言なし」

『書物主義に反対する』が発表されたのは1930年である。

当時の毛沢東は、蒋介石率いる国民党から逃れる形で、中国の南西部にある井岡山にこもり、農村部の赤化(土地の再配分)を進めていた。この作品はその活動を担っていた共産党員たちに向けたメッセージである。