「権力を分散させれば破滅をもたらす」太平天国の教訓
そして何よりも問題だったのは、様々な王位や官職がもつ権限が曖昧で、複数の権威や組織のあいだで常に激しい競争原理が働いていたことだった。
その最たるものは「万歳」の称号と救世主の権威をめぐる洪秀全と楊秀清の争いであり、他の王たちも庇護を求める人々の声に応えるために競合した。公有制が充分に機能せず、中央政府の求心力が低下するほど、諸王の地方における勢力拡大は進み、中央以上の富と兵力を蓄積する者も現れた。そして洪秀全とその側近によるコントロールのきかない諸王に対する不信と抑圧は、政権そのものの崩壊を招いたのである。
その結果、後世の人々は太平天国が失敗した原因を内部分裂に求めた。そして「中国は常に強大な権力によって統一されていなければならない。少しでも権力を分散させれば破滅をもたらす」という、中国の歴史においてくり返し唱えられてきた教訓を読み取ろうとした。
実際には清末に李鴻章をはじめとする地方長官の権限が拡大し、20世紀に入ると省を単位とした連邦政府構想である「聯省自治」論が模索された。だがいっぽうでそれを「軍閥割拠」あるいは外国勢力と結託する「分裂主義」と批判する傾向も強まった。そして蒋介石の国民党であれ、中国共産党であれ、強大な権力を握って異論を許さない「党国体制」が生まれていくことになる。
太平天国に現れた問題点は未解決のままだ
急速に大国化へ向かう現在の中国を見るとき、太平天国に現れた中国社会の問題点は、なお未解決のまま残っていることがわかる。自分と異なる他者を排斥してしまう不寛容さと、権力を分割してその暴走を抑える安定的な制度の欠如は、中国国内だけでなく、台湾や香港、少数民族をはじめとする周辺地域に深刻な影響を与えている。
あるいは「それが今も昔も変わらない中国の姿なのだ」と醒めた見方をすることも可能だろう。もはや中国に「民主化」を期待できないのであれば、外圧で抑え込む以外に方法はないと考えるのもやむを得ないことかもしれない。
だがそれは中国が多様な相手の存在を認め、権力の一極集中を是正することにはつながらないだろう。西欧世界や日本にとって普遍的な価値も、中国にとっては近代社会の「排除」の論理がもたらした「屈辱」の歴史を想起させるものであり、今なお中国が引きずる被害者としてのトラウマから解き放ってくれるものではないからだ。
「中華の復興」を掲げて強国化の道をつき進む中国に、我々は粘り強く冷静に向き合うしかない。そのために中国社会がもっていた異なる可能性を発見し、検証していくことが求められていると言えよう。