1850年末に蜂起して理想国家を作り上げたはずの太平天国は、その後の中国共産党政権のプロトタイプだった──。中国の権力がどうしても陥りがちな個人独裁や個人崇拝の宿痾から抜け出そうとあがくものの、結局は抜け出せなかった点でも、太平天国と中国共産党の共通点はすくなくない。
一方で、2019年に発生した香港デモと太平天国にも共通点がある。昨年12月に『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)を刊行した菊池秀明氏(国際基督教大学教養学部教授)に対して、近著に現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)がある中国ルポライターの安田峰俊氏が聞いた——。(後編/全2回)

中国の歴史研究は、政治の事情にすぐ翻弄されてしまう

前編から続く)

——ところで、実は私(=安田)、かつて立命館大学文学部の東洋史専攻の卒論で太平天国を扱おうとしたことがあるんです。もっとも、中国で史料集を買い込んできてヤル気満々でいたところ、当時の指導教官から「太平天国は中国国内に膨大な先行研究があるが、イデオロギー色が強いぞ」と止められました。判断力が未熟な学生は触ってはいけないという、現在から考えると大変ありがたい指導です。

菊池秀明『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)
菊池秀明『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)

【菊池】なるほど(笑)。確かに学部生や修士では、太平天国の研究は大変です。中国ではある時期まで、太平天国が中国共産党のイデオロギーに合致する「農民起義」であるからと非常に持ち上げられ、その方向性のもとで膨大な研究がなされたものでした。

ただ、今世紀に入ってからの研究は非常に低調です。1999年に気功集団法輪功による中南海包囲事件が起きて、「邪教」の取り締まりが厳しくなったことも大きく影響しています。中国の歴史研究は、政治の事情にすぐ翻弄されてしまうのですよね。

 

80年代には外国人禁止の「未開放地区」が大量にあった

——いっぽう、菊池先生の研究は、そうした中国側の政治的事情から距離を置いておられるのはもちろん、上帝会が発達した広西省の地域文化に密着した視点が大きな特徴です。

【菊池】かつて1987年から2年間、広西に留学して史料調査と研究をおこなった影響が大きいででしょう。当時、日本の中国史研究者の中国留学は、大量の史料を保存している档案館とうあんかんがある北京や上海・南京、広東省の中山あたりに行くのが普通だったのですが、私はあえてそのパターンから外れて広西に行ったんです。

金田村の蜂起地点から紫荊山をのぞむ。菊池先生撮影。
撮影=菊池秀明
金田村の蜂起地点から紫荊山をのぞむ。