たとえば、私たちが広西の農村でフィールドワークをする際も、日本の中国語教室で習うような「きれいな普通話」をしゃべると、現地の人が心を開いてくれません。もちろん、広東語を話せるのがベストなのですが、普通話を話す場合でも、すくなくとも南方なまりの発音のほうがいいですし、私自身も意識的にそうしています。そうしなくては信頼関係が築けず、史料を見せてもらえない(笑)。

金田一帯の宗族が村のなかに建てた祖先の霊廟(祠堂)。1980年代後半に菊池先生撮影。
撮影=菊池秀明
金田一帯の宗族が村のなかに建てた祖先の霊廟(祠堂)。1980年代後半に菊池先生撮影。

華南の広東語圏から北京に造反する人が出るのは必然的

——南方っぽい発音は、中華圏でいろんな人と仲良くなるうえで戦略的にも重要だと思います。北京で南方なまりの言葉を話しても「ああ、遠くから来た人だな」で済みますが、広東省の下町や農村部で北京なまりでしゃべれると距離を置かれてしまいますし、海外の華僑社会や香港・台湾では露骨に冷たい対応を取られるケースさえあります。

【菊池】同じ漢族が住む地域だとは言っても、北京を中心とした管理された世界とは異なる世界があるわけです。さらに言えば、広東語は文法的には漢語(中国語)なのですが、音としては東南アジア的な特徴も強いですよね。

こうした、片足が外にはみ出しているような感覚が随所に見られるのが、華南という地域の面白い部分です。華南の広東語圏から、太平天国しかり孫文率いる革命派しかり、北京の体制に造反する人たちが立て続けに出たのは、ある意味で必然的なことなのかもしれません。

——洪秀全と孫文は同じ広東人で、香港や広州を通じて西洋世界に接し、キリスト教を受容した革命家、というように複数の共通点を持っています。辛亥革命当時、革命派の面々は、「反乱の先輩」としての太平天国を意識していた面はあったのでしょうか。

【菊池】すくなくとも、孫文のような広東系の人たちについては、あったでしょうね。彼らは民国期になって太平天国の再評価を呼びかけたりしています。もっとも、国民政府の首都である南京をはじめ、江蘇・浙江・安徽あたりでの太平天国の評判は最悪でした。再評価の声は届きにくかったでしょう。

清軍の包囲攻撃を受ける太平天国の北伐軍(ハーバード大学イェンチェン図書館蔵)。
写真提供=菊池秀明
清軍の包囲攻撃を受ける太平天国の北伐軍(ハーバード大学イェンチェン図書館蔵)。

——実際に太平天国に支配されたり攻め込まれたりした土地では、評判が悪い(笑)。同じ革命派でも、浙江省出身の蒋介石あたりは、内心ではきっと太平天国が嫌いだったことでしょう。

【菊池】さきほどの地域間の肌感覚の違いや、前編で言及した格差の問題がここで出てきます。都会的な江南地域を統治したのは、彼らとはまったく感覚が違う、広西の山奥から出てきた政権。しかも、鎮圧側の湘軍と泥沼の戦いが起きて、すくなく見積もっても2000万人以上が亡くなっています。江南地域では1930年代になっても、太平天国について負のイメージが残っていたといいます。