乳がん摘出手術と義父の死

12月になると鳥越さんは、かねて予定していた乳がん摘出手術を受けた。その1週間後には退院し、その足で義父の検査結果を聞きに、埼玉の病院へ向かった。

すると義父は、自分の足で歩けないまでに衰え、車いすで現れた。鳥越さんは驚きを隠して診察室に入ると、主治医に「間質性肺炎のグレード4」だと伝えられた。

間質性肺炎は、肺炎とは全く異なる病気だという。肺炎は肺の中で起こる病気だが、間質性肺炎は肺自身が侵される病気だ。間質性肺炎のほうが肺炎より広い範囲で病気が起こり、息切れなどの症状が強く、難治性のケースが多い。グレード4が最も重症で、義父は「息切れがひどく家から出られない、あるいは衣服の着替えをする時にも息切れがある」という状態だった。

主治医から「ここは急性期病院。助かる命を救う病院です。お義父さんには、もはや治療の施しようがありません」と言われ、退院を余儀なくされる。

年末年始は自宅で過ごした義父だったが、あまりに苦しそうな様子だっため、かかりつけの内科を受診したところ、終末期病院にかかるよう、紹介状を渡された。

1月の年始休みが明けると、義父は終末期病院にかかりつつ、在宅介護の準備を開始。義実家に介護ベッドや酸素ボンベを手配し、搬入する。

一方、鳥越さんは通院で、乳がん摘出後の放射線治療がスタート。2月中頃までは、放射線治療を受け、だるい身体にむち打って、義父の介護に向かった。

そのうち鳥越さんは、義父からこっそりSOSを受けた。

鳥越さんは、義両親のために夫と介護食のレシピ本を買いに行き、義母に数冊渡していたが、義母は少しも目を通さず、スーパーで買ってきたカットステーキやハンバーグを「体力が付く」と言って食べさせるため、嚥下えんげが弱ってきていた義父は困り果てていたのだ。

SOSを受けた鳥越さんは、義実家に住み込みで介護を始める。介護食調理や食事介助、清拭や歯みがき、痰取り、着替え介助、マッサージ、服薬管理などを一手に引き受けた。

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はじめは、「楽になる」と喜んでいた義母は、徐々に義父の信頼が鳥越さんに向くと、子どものようにね、鳥越さんが作った料理に勝手にシソやキムチを入れて味をおかしくするなど、妨害を始めた。

「義父はやればやっただけ、感謝をしてくれる人でした。嫁に来たばかりの頃は、私の学歴や生まれ育った住まいが団地だったことについて見下されていましたが、最期には『学歴や家で人を判断してはダメだと教えてもらった。自分の過ちだった』と謝ってくれました」

夫は自分の家から通い、義父の生前整理などを進めていたが、弱っていく義父を見ているうちに自分がうつ状態になってしまう。結局夫も義実家に呼び寄せ、鳥越さんは義両親と夫、3人の世話をすることになった。

2019年4月、もがき苦しむ義父を前に立ちすくむ義母と夫を尻目に、救急車を呼ぶ判断をしたのは鳥越さん。救急車に同乗したのも、息子でも妻でもなく、嫁の鳥越さんだった。

「夫は義父の命が尽きることを意識し、うつになりました。『このまま入院させたら、畳の上で死にたいと言っていた父親を裏切ることになる』という責任から夫は逃げ、私に判断させたのです」

鳥越さんが住み込みで介護をし始めてから約2カ月後の4月、義父は亡くなった。84歳だった。