詩壇への輝かしいデビュー
文英堂の支店のたった一人の店番として働きながら、テルは詩作に励み、投稿を始める。下関の文英堂へ来たのが5月の初め頃。6月にはすでにペンネーム「金子みすゞ」を使い、投稿した数々の雑誌の9月号には作品が発表される。
『婦人倶楽部』に「芝居小屋」『婦人画報』に「おとむらひの日」『金の星』に「八百屋のお鳩」そして『童話』には「お魚」「打出の小槌」。
海の魚はかはいさう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。
『金の星』以外の3誌の選者はすべて西条八十。テルこの時20歳、ここに天才詩人「金子みすゞ」としてのスタートがあった。
西条八十は金子みすゞの才能と情感を高く評価し、励まし続けた。たて続けに投稿した作品が多く採用され、投稿仲間や読者たちからも注目されるようになり、みすゞことテルの人生は光り輝き始めた。
この頃の作品の中から、弱くさみしい者への暖かい目と、さみしさへの敏感な心を感じさせる作品を紹介したい。
お年(とし)をとつた、にはとりは
荒(あ)れた畑(はたけ)に立つて居(ゐ)る
わかれたひよこは、どうしたか
畑に立つて、思(おも)つてる
草のしげつた、畑(はたけ)には
葱(ねぎ)の坊主(ぼうず)が三四本
よごれて、白いにはとりは
荒れた畑に立つてゐる
涙がにじみそうになる。まず“よごれた白いにはとり”は自分のような気がして。次に“わかれたひよこ”かもしれないと、さみしくなり、もしかして、にわとりを見ている“葱の坊主”が自分なのかも…と思い、よく考えてみれば、ひよこを連れ去った“何か”が自分なのではないかと、問いかけられているのだ。たった8行に、人と世界との関わりを見事に表現している。見たはずのないにわとりの表情も、視線も、足のつけ根、羽の様子までがありありと、私の頭の中のカンバスに焼き付けられて消せない。この一篇だけでも私はみすゞにまいってしまう。