夭折した女性詩人の生い立ち
金子テルは、明治36年4月11日に、父庄之助、母ミチの長女として山口県大津郡仙崎に生まれた。2歳年上の兄堅助と2歳年下の弟正祐がある。テルが2歳の時、父は上山文英堂書店の営口(清、今の中国)支店長として大陸へ渡った。
当時の清では、日本への反撥が高まりつつあったせいかどうかさだかではないが、明治39年2月、父は営口永世街で殺害された。未亡人になった母は、仙崎でただ一軒の書店兼文具店を営むことになり、テルは本に囲まれて育つことになった。以下ざっとテルの「詩人としてのデビュー」までを簡単に述べる。
母ミチの妹フジ(テルの叔母)とその夫の上山文英堂書店店主上山松蔵との間には子が出来ず、弟の正祐が養子となる。
明治43年、テルは瀬戸崎尋常小学校に入学。成績優秀で本好きの明るい少女だった。大正5年、郡立大津高等女学校に入学。講堂で全校生徒と教師の前で創作童話を語ったことがあった。
大正7年11月8日に、叔母・上山フジが死に、翌年にテルの母は、上山松蔵と再婚。テルは兄と共に仙崎に残った。
大正9年、大津高女を卒業。学校から師範学校に進み、教師になってはどうかと勧められるが「職員室の雰囲気は自分に合わない」と断った。以後20歳までの間は、仙崎の自宅書店と下関の母の所とを行ったり来たりしていた。
大正12年に、下関の母のもとに移り、上山文英堂の支店で、働くことになる。母の再婚相手の松蔵は、商才にたけた人で支店を拡げ成功していたが、社員に対して厳しい面があった。テルの休みも月1度だけ。仕事は朝の5時から夜の10時まで。食事は1日2食。妻の娘であるテルに対しても、優しさという面よりも、計算があったのだろう。つまりテルと、有能な社員を結婚させて家を支えさせようとしたふしがある。しかし文学少女のテルにとって結婚よりも本の世界の方が自分を引きつけた。