死の前日の穏やかなほほ笑み

「みすゞ」として発表することを止めてしまったテルは、自身の作品を整理し、3冊の手帳に書きとめられた「全集」をつくる。

      露

   誰にもいはずにおきませう。

   朝のお庭のすみつこで、
   花がほろりと泣いたこと。


   もしも噂がひろがつて
   蜂のお耳へはいつたら、


   わるいことでもしたやうに、
   蜜をかへしに行くでせう。

この世のすべてのものに対する、こまやかすぎるほどの優しい気使い。敏感すぎるみずみずしい心。夫婦のことは他人には解らない。夫啓喜には彼なりの言い分もあっただろう。しかし、自作全集の巻末に、

   ――明日(あす)よりは、
         何を書かうぞ
         さみしさよ。

と、記した「みすゞ」の心の暗闇は、その身体をむしばみ、身体の疲れが心の疲れに至るまでに、そう時間はかからなかった。娘だけが、心の支えだった。

金子みすゞ かねこ・みすず●1903(明治36)~1930(昭和5)年。大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。本名、金子テル。

昭和5年2月末に離婚が成立する。テルは娘を手元におきたかったが夫は強引に娘をひきとると言ってきた。連れ戻しに来る約束の日は3月10日――。

3月9日、テルは写真館で写真を撮った。少し下ぶくれの若いほほ。絶望の中に居る人とは思えない、涼やかで凛としたおだやかな目差し。ぷっくりとした下唇の、軽く閉じられたその口からは、今にも愛に満ちあふれた優しい言葉が出てきそうだ。この時テルは自殺を決意していた。遺書を書き、3冊の自作全集を弟正祐に残し、明日は夫のもとに連れ去られる娘と一緒に風呂へ入り、童謡を歌い、明るく過ごした。遺書には「今夜の月のように私の心も静かです」とあった。

認められない天才。不運な結婚生活、短すぎる人生。これによって「薄幸の人」と決めつけるのは簡単だが、人の幸・不幸は他人には推し量れない。

言葉を持つ人は幸福だ。自分の視線を持っている人の人生は充実している。「みすゞ」の内面には、限りない愛の宇宙が拡がっていた。詩は一瞬を永遠に変える。時の長さは魂の旅とは比例しない。26年の人生だったが、自分の意志で結着をつけたのだ。死によって新しい世界へ入る意志だ。最後の写真の、穏やかな澄みきった表情がそれを伝えている。