自分の話を織り込む
「ことのいきさつ」派は、「心に浮かんだことをしゃべって」気づきを得ようとする脳神経回路を多用するので、「特に何があるわけでもなく、ただ話がしたい」モードに入ってしまいがち。子育ての際の、子どもへの気づきに有効なので、女性、特に子育てをした女性は、このモードに頻繁に入ってしまうのである。さらに子どもが近くにいると、その確率は跳ね上がる。
というわけで、母と子の会話が、このモードに入ってしまうのは、ある意味必至。一方的に聞き役になると、話はあらぬ方向に逸れて、延々と長くなる。対話の目的が「伝えたいこと」や「質問」ではなく、「話したい」なのだもの。
恋人同士なら、お互い「声を聞いていたい、些細な日常も知りたい」関係なので、それでいいのだろうが、生まれたときから聞いている母親の声で、代わり映えのしない日常を延々と語られてもねぇ。向こうだって、自分の話にそのうち飽きてくる。
というわけで、話を適度にスリム化して、相手の対話満足度まで上げるのが、「こちらの話を聞かせてやる」なのである。
私は、こちらに持ちネタがあるときは、母の話が始まる前に、「母の電話が待ちきれなかった」かのように、それをしてあげた。「今日ね、銀座のお寿司屋さんで、お寿司食べたのよ。あの有名な○○」のように。母自身の話題は、母の脳からも吹っ飛び、私のペースで会話を終えられる。こちらが“演者”なら、「いつか、一緒に行こうね。じゃ、夕飯の支度するから、またね」みたいに、幕を下ろせるからね。
愛を伝える「オチのない話」
実は、これ、妻や話の長い女友達との日常会話にも応用できる。
残業して家に帰って、ほっとしようと思いきや、妻の「今日の出来事(愚痴つき)」を延々と聞かされて、さらにくたくたになっちゃうようなとき。
妻の話を短くするコツは二つ、積極的に共感することと、自分の話を突っ込むこと。
できれば、会話の口火を切るのは、こちらが望ましい。「今日、川土手の菜の花が咲いてたよ。きみも見た?」とか「昼さぁ、麻婆豆腐食べようと思ったら、売り切れててさぁ」みたいな、なんでもないことがいい。男性脳には果てしなく苦手な、何の目的もない、唐突なショートショートストーリィ。
実はこれ、女性脳にとっては、最高のプレゼントなのである。「何の目的もない話」「オチのない話」をするのは、「(用事もないのに)きみと話がしたい」の意思表示だからだ。母親や長年連れ添った妻にとっては、愛の告白にも値する。本当です。
女同士は、これを自然にやっている。
会議が始まる前に、女性たちが「こないだ、○○のケーキを食べた」「マンホールのふたで滑って転びそうになった」「髪切った?」みたいな世間話を交わしているのを知っているでしょう? ときには、世間話が沸騰したまま、怒涛のように会議が始まることも。
男性から見ると、ひとりの話が完結していないのに、もうひとりが別の話題をぶちこむので、「女は人の話を聞いていない」「女は自分がしゃべりたいばっかり」と感じるようだが、ぶぶぶーっ、それは不正解、大きな誤解です。
あれは、「あなたたちと話したい」の意思表明をしあっているのであって、会議の準備体操なのである。