「母親の話が長い」と感じることはないだろうか。脳科学・AI研究者の黒川伊保子さんは「話が長くなるのは、『あなたと話をしたい』という意思表示だ。たわいもない話を聞かせてあげれば、話が長引くことはなくなる」という――。

※本稿は、黒川伊保子『母のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

テーブルでコーヒーを飲みながら話す人
写真=iStock.com/Comeback Images
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毎日のように電話で「子どもできた?」と聞く母だった

私の母は、基本、自由な人で、私に「勉強しろ」だの「お行儀よくして」だのと言ったことがなかった。二十歳の誕生日のとき、母は私に「これからは親友になろうね」と言ってくれて、本当に仲よしの女友達になった。

とはいえ、厄介でなかったわけじゃない。私の男友達には、まるで自分の恋人選びみたいに厳しかった。この世代(昭和ひとけた生まれ)の母親の常で、「医者か、それをはるかに凌駕するエリートと結婚してほしい」と強く望んでおり、医学生の男友達にだけ、めちゃくちゃ依怙贔屓してたっけ。あとは大学の偏差値順に愛想がいい(苦笑)。

現在の夫が、両親に初めて会ったとき、母は冷ややかに、「なぜ、東大に行かなかったの?」と質問した。彼は、柔和な表情のまま、行儀よく、「東大には興味がなかったので」と答え、父がその答えをとても気に入ってくれた。「こりゃ、案外大物だな」と。

あとからわかったけど、夫は本当に、「東大と、それが象徴するエリート人生」にまったく興味がなかったのだ。まぁ、東京のど真ん中に家土地を持ち、蓄えもある両親のひとりっこ長男だし、若いときはけっこうハンサムだったし。寝る間を惜しんで受験勉強をしてまで、手に入れないとならないものが、彼にはなかったのである。

夫と結婚した後は、母は一日も早く孫をと望み、毎日のように電話をかけてきて、「できた?」と聞く。こうなるともう吹き出すしかなかった。

そう、母の望みは、あまりにも率直で、子どもが駄々をこねるようで、厄介というより面白かった。

本当に厄介なのは、電話の長さである。