日本の教育の第二の特徴は、知識を学び理解するという情報摂取(インプット)に偏り、自らの発信(アウトプット)が限られていることである。明治以降に世界に追いつこうとした日本の経済発展の歴史に根づいているものであるが、お互いに意見を言い合って、その中から新しいヒントを得ることがフロンティア開発のためには不可欠である。

個人主義と対比される日本の教育の第三の特徴は、画一的なところである。「不得意なところをなくせ」というのが、私の中学の校長先生の口癖だった。これに比べ娘の通った(ハーバード大の近くにある)幼稚園の園長さんは、入園式で「“子どもは一人ひとりそれぞれ違う”ということを理解するのが教育のはじめです」と入園式で述べた。

したがって、有能な子どもには飛び級が許されたり、能力差に応じて特別のクラスを設けたりすることも、米国では当然である。

そういうふうに教育されると、優秀な子どもが育つのは良いが、その子どもが鼻高々になって社会になじめなくなるのではないかと心配する人もいると思う。確かに、生意気な秀才がアメリカにはたくさんいる。そこで、日本であれば「謙虚であれ」「能ある鷹は爪を隠す」と抑制的な教育が行われるところである。

しかし、米国では、違った経路をたどる。才能のままに抑制されず育った“村一番”の秀才たちも、中学から高校、大学と向かう過程で、他校からの一層優れた秀才たちに会うことになる。身をもって自分の能力の限界を認識させられるのである。

うまく褒めて意欲を引き出す社会

誰でも自分の優れたところや上げた成果を褒められたい、という自己顕示の本能がある。自分が目立ちたいという本能もある。うまく褒めることによって、褒められたものは意欲が高まって、社会により大きく貢献できる。日本経済が一層活気を持つためには、「出る杭は打たれる」というような抑制的な画一化や、優秀な人への妬みが支配する社会でなく、相手の優れたところを褒め合ってお互いに意欲を引き出す社会をつくる必要がある。

私のイェール大での指導教官ジェームズ・トービン教授は、褒め上手だった。しかし、その褒め言葉もあとでよく考えてみると、私の足りないところを言外に指示していることもあり、研究意欲を掻き立てるものであった。

(写真=AP/アフロ)
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