「自分はワクチンなしでも大丈夫だ」と信じている人が、仮にその人自身については正しかったとしても、家族や友人そして群衆を通じてほかの人々に、場合によっては死の病をもたらしているのである。

米国では、科学的真理を認める人々と、いまだ影響力の強いトランプ前大統領が唱える“自分に都合のよい世界”を信じて科学を軽視する人々の間で、認識の対立が政治的対立につながっている。ペロシ下院議長の言葉によれば、「ドナルド・トランプはクレイジー、つまり正気の沙汰でないのです」ということであるが、大統領選挙に敗北しても根強い人気がある。

共和党の下院議員の多くや共和党擁立の州知事のほとんどは、このような非科学的な指導者の世界観を、本気でか政治的理由によってかはわからないが、支持しているのである。2021年9月14日に投票が行われたニューサム・カリフォルニア州知事のリコール——彼は幸いにリコールを免れた——も、トランプ前大統領の支持者によって出されたが、政治信条の違いを超えた文明の対立とさえ見える。つまり、我々の住む世界で何が現実なのかという認識間の争いとして闘われたように感じられる。

古い教育が日本人の活力を奪っている

さて、ここまではいわば“個人主義の行きすぎ”の話であって、読者は、日本の教育は子どもや学生に自分勝手を許さないよう教育しているから安心だと受け止めるかもしれない。しかしながら、日本では、逆に個人主義の 欠如・・が経済の活力をそいでいるというのが、実は本稿の強調したい点である。ワクチンがアメリカで先に開発されて、日本ではそうでないといった科学の進歩の差が、実は個人のインセンティブ不足に関係しているかもしれないのである。

日本の教育の第一の特徴は、基礎的学力、特に記憶と計算能力の強調である。日本の技術が世界のフロンティアに近づいた今、記憶と計算だけでは前に進めない。漢字、人名や歴史を忘れても、スマートフォンが教えてくれるし、計算もスマートフォンがやってくれる。

今の技術革新に大きく役立つのは、ITに代表される技術革新を前提としたところで、いかに多数の人々に利便を与えるようなネットワークのある構想ができて、それをビジネス化できるかである。アップル、アマゾン、グーグル、フェイスブックなどが多大の利益を得るのは、インターネットの存在を前提として、世界中に散らばっている隠れた需要と供給をうまく結びつける技術である。