エビデンスが無いから、対応策も場当たり的になる

いずれにせよ、政府が求めてきた「飲酒なしの少人数会食」や「営業時間の短縮」「アクリル板の設置」「テレワーク活用による出勤者の7割削減」がどれぐらい「激減」に寄与したのか、どの施策が減少の決め手になったのかまったく分からない状態なのだ。感染拡大がどうして止まったか、その「エビデンス」が無ければ、次にやってくる「第6派」を防ぐことも、ヤマを低く抑えることもできないだろう。

日本の新型コロナ対策がこれまで「後手後手」に回って来た背景には、「エビデンス」の収集を疎かにしてきたことがある。つまり、因果関係を解析しないままに対応策を決めるため、「場当たり的」にならざるを得ないのだ。6月20日に7つの都道府県に出ていた緊急事態宣言を解除した時も、すでにその段階で新規感染者確認者数は増加傾向に転じていた。しかも4月に国内で初確認されていたインド由来の変異型ウイルス「デルタ株」に急速に置き換わっていた。結局、そのタイミングで緊急事態宣言を解除したことが裏目に出た。東京では1カ月もたたない7月12日に緊急事態宣言を再発令する結果になった。

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霞が関にも永田町にも根付かない「エビデンスに基づく政策決定」

日本でも「EBPM」が言われるようになって久しい。EBMPとはEvidence Based Policy Making(エビデンスに基づく政策決定)の略だ。だが、いまだもって、霞が関にも永田町にもまったくと言っていいほど根付いていない。霞が関は従来の体制や制度を変えることに猛烈な抵抗がある組織で、伝統的に、自分たちがやりたい政策に都合の良いデータだけをエビデンスとして使う習性がある。政治家である大臣も、役人の説明を信じて発言するので、結果的にEBPMから遠くなる。

新型コロナに関する会見で「エビデンス」という言葉がどれだけ使われたか分からないが、大半が自らの政策決定や行動を正当化するために都合の良いデータだけを「エビデンス」としている。政治家の中には思い付きや自らの信念で政策をぶち上げる人もいるので、EBMPを実践できる人はさらに少ない。