冤罪事件を生んでしまう背景

冤罪事件の法医学鑑定を見ると、ベテランなのに杜撰な鑑定をした事例、本件のように確かな解剖をしたのに警察に誘導されて結論を誤った事例、鑑定が正しいのに警察官・検察官が自らの「見立てに従って作文」した例等、様々な要因が冤罪を生んでいる。その背景を考える。

本来、死因は、第三者が公正・客観的・科学的に決定した上で、その死因に基づいて罪状を認定しなければならない。ところが、日本では、医療や法医学の知識の乏しい警察官や検察官が、自らの犯罪に関する「見立て」に従って死因や犯人を決めている面がある。

そして、多くの法医が、警察・検察が説明する犯行状況等の「見立て」の内容と、鑑定内容が矛盾しないとする供述調書の求めに応じている現状があると感じる。

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捜査の意図に合う供述調書を書かせる警察

私自身は若いころ、警察が他の法医の問題のない鑑定書を持参し、異なる意見を求められた経験、そして、自分の鑑定例について、警察の意図に合わせるように「言わされる」感じの供述調書に抵抗を感じたことから、その後、供述調書の求めには応じないできた。

いっぽうで、司法解剖に当たっては、警察に死体の発見状況や背景を詳しく聞いた上で、問題点をリストして解剖してきた。

例えば、首絞めであれば、自分の手や紐を首にあてがって、どこをどの指でどのように圧迫して損傷が生じたかを考えながら詳しく所見を記載し、写真を撮影する。所見の記載事項と写真を比べると、鑑定の正誤を評価できる。

解剖中には、解剖助手、立ち合い検察官・警察官と議論しながら、観察し、理解・整理しながら文章化し、当日中に鑑定事項や独自の問題リストに沿って暫定鑑定書を書き上げ、薬物検査等の結果を待ちながら見直した後、できるだけ早く鑑定書を提出してきた。

なぜなら、時間が経つと、所見等を忘れ、関心が薄れる上、警察・検察に見立てに合う意見を求められる傾向があったからである。