単なる病死が殺人事件に仕立て上げられた

本件を解剖したベテラン法医学者は、鑑定書の記載から丁寧な解剖・鑑定を行ったことがわかる。

特に、血液電解質を測定し、鑑定書に低カリウム血症と記したことが、冤罪解決の端緒になった。鑑定書には、延髄を含む脳全般の軟化と小脳プルキンエ細胞の脱落を認めたと記されていた。

私は、呼吸中枢と心臓血管運動中枢がある延髄の脳軟化が進行すると、自然な流れで心肺停止すること、小脳プルキンエ細胞は、心停止後蘇生により脱落することを指摘した。そして、「低カリウム血症」は、死亡前2~3週続いた血圧低下傾向、長期の利尿剤・下剤の持続投与によって生じ、不整脈死や呼吸停止の原因となりえたと指摘した。

いっぽう、鑑定書には「気道末梢に痰が貯留ちょりゅうしている」と記され、解剖直後の調書にも「痰貯留による窒息死の可能性がある」と供述していた。

つまり、解剖直後の解剖医は、チューブ抜去による窒息死の可能性を指摘していないのである。

ところが、法廷で解剖医は、「(チューブ抜去による)酸素欠乏による窒息死である」、「小脳プルキンエ細胞は、チューブ抜去により脱落した」と鑑定書とは異なる証言をした。

病院の患者のための機械換気装置
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普通の病死が殺人事件に仕立て上げられてしまった

私は、医療事故が社会的な注目を集めたのに対して、医療関係者が激しく刑事司法の医療への介入を非難した時代を東大法医学教室で過ごし、多数の医療関連死を司法解剖した。

そのため、医療専門家の意見を聞き、文献を読んで診療経過を分析する習慣があり、本件のような容態急変例では、診療経過を慎重に分析してきた。

裁判では、直接、心肺停止につながった低カリウム血症、痰貯留たんちょりゅうによる窒息等の「直接死因」が争点となった。しかし、本来、法的責任を判断する根拠となる「原死因げんしいん」は、一連の病的事象の起因となった疾病・損傷の状況である。

本件では、入院後の最初の心停止につながった体重減少と摂食困難の発生原因が不詳である以上、原死因は「不詳」という他ない。

結局、本件は、診療経過を分析して「原死因」を究明すべきところ、取り調べ警察官の「犯人捜し」が重視される死因究明制度のため、普通の病死が、殺人事件と取り違えられた冤罪事件だったのである。