大学病院などで行われている「司法解剖」は、きちんとやるには40万円ほどの費用がかかる。ところが警察などは12万円ほどしか支払われていない。国際ジャーナリストの山田敏弘さんは「大学が費用を泣き寝入りして負担しているケースもあり、これでは適切な死因究明はできない」という——。

※本稿は、山田敏弘『死体格差』(新潮社)の一部を再編集したものです。

犠牲者からサリンを検出できなかった地下鉄サリン事件

千葉大学法医学教室の岩瀬博太郎には、日本の法医学に失望した忘れられない事件がある。1995年3月に発生した地下鉄サリン事件である。

事件の当日、東京の地下鉄の構内でオウム真理教によるテロ事件が起きた。猛毒ガスのサリンが電車内に散布され、乗客や地下鉄の職員など14人が犠牲になった。

遺体の一部は東大の法医学教室に運ばれた。当時助手だった岩瀬は、事件の翌日に東大の地下にある解剖室で、被害者の司法解剖を補助した。

その日の解剖室はそれまで経験したことがないような物々しい雰囲気だった。解剖室には科学捜査研究所(科捜研)の所長をはじめ、警視庁捜査一課の捜査官や検察官など総勢30人ほどが所狭しと集まり解剖に立ち会った。執刀医の岩瀬はすし詰め状態の解剖室で、立ち場所を確保するのにも苦労するくらいだったという。

この事件では、日本の法医学に対して愕然とすることがあった。遺体からサリンを検知する検査ができなかったことだ。そのための機材がなかったのである。それどころか、日頃から、青酸カリや覚せい剤を検知する検査すらできないことも分かった。

オウム真理教によるサリン事件は、世界のテロリズム史に残るような重要な事件であった。実際に、今でも化学兵器が人類に対して使われた例を取り上げる欧米の記事や文献にはサリン事件が紹介されることが多い。そんな人類にとって未曾有のテロ事件が起き、世界から注目されているにもかかわらず、日本でもっとも優秀な頭脳が集まる東京大学の医学部で、被害者からテロに使われた化学物質をきちんと検査できなかったのだ。

事件発生直後、現場の残留物からは科学捜査研究所がサリンを検出していたが、被害者の遺体からは確認できなかった。

研究室のイメージ
写真=iStock.com/gorodenkoff
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結局、岩瀬の師匠でもある当時の東大法医学教室の高取教授が、サリン検出の研究に使用するという名目で得た文部科学省科学研究費(文部科研費)を申請し、それでようやく獲得したおよそ1000万円を利用して、ガスクロマトグラフィー(GC-MS)という薬物分析装置を購入し、サリンの検出を行った。岩瀬は分析を担当したが、それから1、2年ほどをかけて、サリンを遺体から検知するのに成功している。

岩瀬は言う。

「あの時、世界を揺るがすようなテロ事件が起きて、現場で化学物質が使われていたのに、なんで薬物検査のための機械を持っていないんだ、普段から薬物検査もできないしおかしいだろ、と思いましたね。この経験から、東大時代にはもっと近代的に死因究明をやっていかなければいけないと痛感していた」

検査の種類だけでなく、マスクなどの備品から始まり検査機器まで、死因を究明する態勢は日本ではまだまだ整っていない現実を日々感じていた。

岩瀬は、東京大学の法医学教室で10年近くを過ごし、2003年に地元である千葉県の千葉大学法医学教室の教授となった。教授としての選考に臨んだ際には、「これからは解剖という実務によって資金を獲得し、いろいろな検査を行える体制を整えなければいけないのです」と主張した。