「警察手帳をかざしながら無銭飲食」
千葉大学の教授になった岩瀬は、法医学界の窮状を改善すべく働きかけを始めた。
当時、法医学者が抱えていた根本的問題はたくさんあったが、ここでは三つに絞って紹介したい。
一つ目は司法解剖の費用。司法解剖とは、警察が発見された異状死体に事件性があると判断した場合に、裁判所からの令状を取って大学の法医学教室に依頼する解剖のことだ。
司法解剖をきちんと行えば、千葉大学では薬毒物検査などを含め40万円くらいはかかるという。だが当時、司法解剖に必要な経費は一銭も大学に支払われていなかった。執刀した医師に「司法解剖謝金」という形で解剖一体につき7万円ほどが支払われていたが、あくまで謝金という扱いだったという。
岩瀬は以前に、そんな状況について、「警察手帳をかざしながら無銭飲食されているようだ」と表現していた。解剖室の管理や備品などの費用はすべて大学側が泣き寝入りして負担していたのである。
二つ目は、検視の体制だ。日本では、明確な病死以外の死は異状死と呼ばれるが、そうした異状死体の解剖方法には、事件性が考えられる場合の司法解剖、事件性はないと見られるが死因が不明な場合に行う調査法解剖(新法解剖)、または行政解剖がある。問題はその前段、事件性があるかないかを判断する検視を行うのは、医学的な専門知識のない各地の警察官ということだ。
さらに、検視に立ち会って死因を判定するのは法医学者ではなく警察医。それはほとんどの場合、開業医などのいわゆる一般の医者(臨床医)だ。警察官や一般医は、遺体外表の所見と死亡状況のみでほぼ判断しており、妥当な医学的検査がまったくといっていいほど行なわれていない。その弊害によって、日本では数多くの犯罪死を見逃してきた。
警察庁が2011年に公表した「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方について」という資料によれば、1998年から11年までに発覚した死亡ケースで、犯罪を見逃した件数は43件にも上る。これはのちに発覚したケースのみであり、ある県の捜査関係者は「実際はもっと多いと考えていい」と筆者に語ったことがある。
プロである法医学者に仕事の機会を与えなかった日本の死因究明制度
日本で近年、見逃し案件として象徴的な例とされているのが、2007年に発覚した時津風部屋の暴行事件である。17歳の新弟子だった力士が、巡業先の愛知県で稽古中に心肺停止になり、搬送先の病院で死亡した。医師は、その死因を急性心不全と診断したが、警察が心筋梗塞などのことを指す虚血性心疾患と書き換えていた。
その後、当時の時津風親方が新弟子の親に稽古中に死亡した旨を報告し、火葬すると伝えた。親がそれを断ると、火葬されることなくあざだらけの遺体が返されたという。それに驚いた親が、独自に新潟大学医学部法医学教室に解剖を依頼。結局、ビール瓶などで暴行されて死亡したことが明らかになり、時津風親方や兄弟子らが有罪判決を受けている。
最近でも、京都府で発覚した、連続青酸殺人事件がある。
2013年、京都府内の自宅で死亡した男性(75)から司法解剖によって青酸化合物が検出され、夫を保険金目当てで殺害した容疑で翌14年に妻の筧千佐子が逮捕された。
筧は警察に対して罪を認め、それをきっかけに、過去に筧と婚姻や内縁関係にあった男性たちが多数不審死していることが判明した。不正に相続した遺産は合計10億円にものぼったという。
事件は京都から大阪府、兵庫県にまたがっており、筧は2007年から13年までの4人に対する殺人罪3件と強盗殺人未遂罪1件で死刑の判決が言い渡されている(最高裁判所は2021年6月の上告審判決で被告側の上告を棄却し、死刑が確定した)。
これら4件以外でも、筧と内縁関係にあった男性などが何人も不審死をとげており、筧も青酸化合物を飲ませたことを認めているケースもあった。だがそれらの事件では、きちんと死因究明されていなかったことなどもあって、殺害を裏付けることはできないままだった。また捜査段階で不審死が判明しても、死亡時に解剖をするなどしてきちんと死因究明を行なっていなかったために病死と結論づけられており、嫌疑不十分で起訴することはできなかった。最後の男性が死亡して司法解剖によって事件が発覚するまで、数々の犯行は見逃されてきたのだ。
近畿地方を拠点にしているある法医学者は、「筧の事件以降、大阪の警察は見逃し事件にかなり敏感になっています」と語っている。もちろん、そうあるべきである。
だが、これは日本の法医学者の能力の問題ではない。解剖したが見逃したという話ではないのだ。すべての原因は、死の真相を突き止めるプロである法医学者に仕事の機会を与えなかった日本の死因究明制度にあると言えるのではないだろうか。
筧千佐子の事件でも、それぞれの死亡者の死因が究明されていれば、もっと早く犯行を食い止められたかもしれない。この事件で殺害された人たちは、現行の制度の不備の犠牲者だとも言えるのだ。