地域によって明確な差がある遺体の解剖率

法医学者が抱えている根本的な問題の三つ目が、地域格差だ。地域の大学などの状況によって、解剖率や解剖の質が変わってしまうことである。

解剖率だけを見ても、その差は歴然だ。すでに述べた通り、東京と広島では大きな差があるが、それ以外でも解剖率のばらつきは顕著になっている。たとえば2019年の九州だけを見ても、福岡県は7.7%、佐賀県は8.8%、長崎県は10.8%、熊本県は4.6%、大分県は3.3%、宮崎県は4.4%、鹿児島県は6.7%だ。その明確な差がわかってもらえるだろう。

千葉県では当時から、異状死体の解剖はほとんどを千葉大学の医師が1、2名で担当してきた。一方で、東京23区には監察医制度があるため、監察医務院に出入りする何人もの法医学者が解剖を行う。司法解剖も都内のいくつかの大学が担当できる体制がある。しかし地方に行けば、異状死体を解剖できる法医学者が1人しかいない地域もあり、どうしても解剖をせずに済ませるケースが出てくる。そうなれば、犯罪見逃しの可能性が生じてしまうのは言うまでもない。

こうした状況を変えるべく、岩瀬は警察や官僚などに話を持ちかけてきたが、なかなか取り合ってもらえない状況が続いた。

実名告発で「無銭飲食」状態に改善の兆し

そんななか、岩瀬は千葉大学で教授になってしばらくして、民主党・細川律夫議員の政策担当秘書だった石原憲治と知り合った。石原は当時について、こう振り返る。

「岩瀬さんとは2004年に初めて会いまして、その時初めて、法医学界の実態を知ったのです。岩瀬さんから、国会でも状況を改善するために動いていただけないでしょうか、と。それが発端です」

この両者の出会いをきっかけに日本の法医学界は、少しずつ変わっていくことになる。ちょうどそのころ、岩瀬は、警察などと仕事をする日常業務へのリスクを覚悟で、週刊誌で法医学の実態を実名で告発した。記事が出ると警察からチクチクと言われたり、冷たい視線を感じたりもしたが、その勇気ある行動が問題の周知に役立ったことは確かだった。

石原も細川議員とともに、国に対して死因究明制度や法医解剖などについての質問主意書を提出するなど動き出した。そして民主党の法務部門会議の中に死因究明ワーキンググループを立ち上げた。

そのワーキンググループでは、当時の東京都監察医務院院長、法医学者、歯科法医学者、法中毒学者、法解剖でトラブルに巻き込まれた犯罪被害者などからヒアリングが行われた。その甲斐あって、2006年からはワーキンググループが「死因究明小委員会」に格上げされ、日本の法医制度を改革する「死因究明法案」の提出に向けて政治が動き始めたのだった。

こうした動きを受け、変化が出始めていた。国の司法解剖の予算に、1体につき2万円の薬毒物検査費が2005年から加算されるようになったり、翌年には司法解剖にかかわる検査経費が初めて予算化されたのである。警察による「無銭飲食」状態が改善を見せ始めたのだ。

そして2007年には、民主党が法案を提出。石原は、「野党案ということで、審議には至りませんでしたが、自民党や公明党などにも、この問題について知ってもらうきっかけにはなった」と話す。

岩瀬も当時、政治が動くことで状況が改善されていく状況に手応えを感じていた。法医学の窮状が変わるかもしれない、という期待を持ったのは言うまでもない。

この潮流は、日本の政界で与野党が逆転し、2009年に民主党政権が誕生することでさらに進展した。

2011年に岩瀬は内閣府の推進会議の委員として、新しい死因究明制度を作るべく議論を重ねた。そこから、2012年には「死因究明等の推進に関する法律」(死因究明等推進法)と、「警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律」(死因・身元調査法)が作られ、審議の末に成立した。