労働者たちが好んだビアハウス

当然のことながら、建築事業でもっとも有名な王は、ビールづくりでも傑出していた。ラムセス二世(前一三〇四-一二一三)は、エジプト学者のあいだで「醸造家ファラオ」とよばれている。

このファラオはビールを神聖視し、黄金の杯でこれを飲んだ。アモンラー神を崇拝し、アンフォラ(ビール用の水差し)四六万六三〇八個分のビールを奉納したこともある。約一〇〇万リットルに相当する量だ。水質が悪いため、エジプト人は好んでビールを飲んだ。

自宅でもビールをつくり、建設現場で働く労働者たちが通うビアハウスは、中近東のエキゾティックな雰囲気たっぷりのキャバレーや売春宿もかねていた。腰や太ももに入れ墨をした妖艶な遊女たちの体にしたたり落ちるほどに、ビールがふんだんに供された。

エジプトの東隣バビロニアの『ハンムラビ法典』は、「女性がビアハウスに入るのは不道徳な行為」と戒めている。

アルコールのにおいが充満する建築現場

ビールから得られる収入を確保するため、ラムセス二世は国営の醸造所をつくってビールづくりを独占した。南部にあるヒエラコンポリスの醸造所では、前四世紀に日産一〇〇〇リットル以上のビールを生産していた。

こうしてファラオは建築現場の監督や兵士、神官に無料でビールをあたえることができた。ラムセスの建設事業はテーべ、カルナック、メンフィス、ブバスティスを中心としていた。

テーべに建てられた王家の葬祭殿「ラメセウム」は、古代エジプト学の父シャンポリオンによって「数百万年の城」とよばれた。その建設に何千人もの労働者が動員されたから、文字どおりビールやワインの匂いが充満していたことだろう。

写真=iStock.com/5PH
※写真はイメージです

ワインの大衆化に勤めたファラオたち

考古学的発掘調査によって、ラメセウムの建設にたずさわる職人たちが住むディール・エル=メディナの集落でワインが支給されていたこともわかっている。これはラムセスを名のる十一人のファラオ以降、ワインも大量につくられるようになったためだ。

歴代のラムセスは肥沃なナイル川デルタ地帯の出身である。ディール・エル=メディナで発見されたヒエログリフ(神聖文字)によると、歴代のラムセス治下では、ワインはビールの五倍から一〇倍も高価だった。それでもファラオたちはワインの大衆化に熱心だった。

ラムセス二世より三〇年後のラムセス三世の時代には、アメン・ラー神殿だけで五一三カ所のブドウ園を所有していた。

ラムセス三世はみずからの事業についてこう語っている。

「わたしは南部と北部のオアシスにブドウ園をつくり、南部地方にも多くの果樹園をつくった。デルタ地帯のそれを何十万倍にも増やし、外国の捕虜のなかから選んだ者に面倒を見させた(※3)

こうして供給が大幅に増え、ワインの消費も拡大した。

すでにセティ一世(ラムセス二世の父)の時代には、ゲベル・シルシラ南部の採石場で何千人もの労働者がワインをふつうに飲んでいたという、王家の使者の報告が残されている。

さらにワインは輸出され、アリストテレス、ソフォクレス、アイスキュロス、ヘロドトス、アテナイオスなどの著作に登場する。

一方で古代ローマの歴史家・地理学者ストラボンは、ギリシアに送られたペルーサ(現ポートサイド)の「大麦ワイン」を絶賛している。