※本稿は、ブノワ・フランクバルム著、神田順子/田辺希久子/村上尚子訳『酔っぱらいが変えた世界史』(原書房)の一部を再編集したものです。
クフ王のピラミッド建設に必要だったビールの量
まずはちょっとした計算からはじめよう。
クフ王のピラミッドは紀元前二六〇〇年から二五五〇年のあいだ、二〇年をかけて建設されたというのがエジプト学者の一致した見方だ。
一日一万人が動員され、毎日五リットルのビールが支給された。
一万人×五リットル×三六五日×二〇年=三億六五〇〇万リットルものビールが、この工事だけで消費された計算になる。
しかも当時は何百ものピラミッドや何千ものモニュメントが建造されたのだ! ナイル川の流量は平均毎秒三〇〇万リットル。したがって一三〇〇年ものあいだ、ファラオの地にはもう一本の川、すなわちビールの川が流れていたといっていい。
クフ王のピラミッドに話を戻すと、周辺にすくなくとも一個所の醸造所跡が発見されている。ピラミッドの建設現場は労働者が働き、食べ、眠り、飲む、まるで一個の都市のようだった。
労働者のほとんどは給料をもらっていて、奴隷ではなかった。その多くはナイルの氾濫で手もちぶさたの、失業状態の農民たちだった。
ビールが勤労意欲を高めるだけでなく、賃金がわりでもあったことは、発見された粘土板から明らかだ。
神が発見した飲み物は労働のごほうび
古代エジプトでは、ファラオから庶民にいたるまで、ビールはだれもが飲む国民的飲料だった。とくに古王国時代(前二七〇〇-二二〇〇)のマスタバ(葬祭用の食具)にはよく登場する。エジプト人はビールにかんしては大真面目で、農耕神にして冥界の支配者でもあるオシリスが発見した飲み物と考えていた。
二〇一一年の「スミソニアン」誌のインタビューで、“ビール考古学者”を自負するパトリック・マクガヴァンはこう語っている。
「ビールは栄養源であり、気分転換のための清涼飲料であり、重労働のごほうびでもあった。ビールという給料。それがなければ反乱が起きていただろう。十分な量のビールがなかったら、ピラミッドは建たなかったかもしれない」。
これまで見つかったビール製造にかんする文書は、醸造所の責任者や経理担当者が会計・管理・技術を記したものがほとんどだ。
具体的にいうと、労働者は一日あたり三、四個のパンと、ジョッキ二杯分(計四~五リットル)のビールを受けとっていた。
ということは、酔っぱらってもめごとを起こした者もいたことだろう。支給されたビールの度数はせいぜい二~三度と推定されている。度数は低いが[非常に高かったとの説もある]、つねに巨大な石を扱うことから事故は多かった。