不要不急を我慢しても未来の不安はなくならない

繰り返すが、未来を想像して、いいことは何もない。行き当たりばったりが、一番落胆が少なく、生産的に動けるのだ。

「知らない明日を迎えることが、人生の醍醐味である」と、思い出してほしい。明日、想像していた通りの安全な未来が訪れたとしても、ちっとも楽しくないだろう。

想像通り、安心感に満ちた人生は、ケガはしないかもしれないけれど、つまらないものだ。

過去に派手に転んだり、傷を負ったことを、あなたは後悔しているだろうか?

貴重な失敗体験として、苦境から立ち直るのに役立っているはずだ。

未来を想像するのは、不安の種を育てることだ。

コロナ禍でも、ほとんどの人たちは「感染したらひどく苦しむ」「治療法はないから死ぬかもしれない」「周りから村八分にされる」という、未来の可能性に怯えている。感染予防に努めればいいだけなのに、起きていないネガティブな事態を自分で決めつけ、右往左往しているのだ。

心配したいのが好きならいいけれど、少し冷静になってみよう。不要不急を犠牲にしたって、未来の不安はなくならない。不安を消すために何かを我慢して、不安がパッとなくなった経験を、誰か持っているだろうか?

未来にではなく、機会損失にこそ怯えてほしいと思う。不要不急を減じて、新しい楽しみに出会うチャンスを失う方が、恐ろしいのではないか。

後のことを考えない方が未来は豊かになる

未来思考と不要不急は、相性が良くない。どちらかを優先すれば、どちらかが邪魔になってくる。選ぶべきなのは当然、不要不急の方だ。

未来のネガティブな失敗ばかり心配して、リスクから逃げるように暮らすのと、とりあえず後のことは考えずに、やりたいことを望むままやってみる。豊かな未来づくりに役立つ思考は、どちらか? 考えるまでもないだろう。

2021年7月の段階でワクチン不足が起きるほど、ワクチン接種は急速に進んでいる。ワクチンの副作用リスクは根強く問われているが、ゼロリスクはありえない。いずれにしても、遠くないうちに日本では全体免疫を達成できるだろう。コロナ前の社会を、年内には取り戻せるかもしれない。

あえて言うが、僕はコロナ前・コロナ後という区分が嫌いだ。コロナウイルスは僕たち人類と共に、太古の昔から地球上に存在していたのだ。突然現れた怪物ではない。区分があるとしたら、「我慢強制前」と「我慢強制後」だ。

僕たちは我慢を強いられたことで、不要不急の必要性をあらためてたしかめただろう。これからは、不要不急の社会への脱出だ。

ワクチン接種の成功により、コロナと共存する社会が、リスタートするのだ。