わたしたちは常に5分の1秒後の世界を見ている

というわけで、これから学ぶべきことは山のようにあり、多くのことは永遠に解明されないかもしれない。しかし、わかっている物事のいくつかは、とにかく、わかっていない物事と同じくらいすばらしい。

たとえば、この目に見えるもの――いや、もう少し正確に言うと、脳が見るよう命じているものについて考えてみよう。

今ここで、まわりを見回してほしい。両目が毎秒1000億の信号を脳に送り込んでいる。しかしそれは、物語の一面にすぎない。あなたが何かを“見る”とき、視神経から伝わるのは、その情報のわずか10パーセントほどだ。

脳の他の部分は、その信号を分解して、顔を識別し、動きを解釈し、危険を特定する必要がある。言い換えれば、見ることの最大の部分は視覚映像を受け取ることではなく、その意味を理解することなのだ。

視覚入力があるたびに、わずかだがそれとわかるだけの時間――約200ミリ秒、つまり5分の1秒――をかけて、情報が視神経を通って脳に伝わり、処理と解釈が行なわれる。

5分の1秒は、すばやい対応が必要なときにはささいな時間とはいえない――たとえば、迫りくる車をよけるときや、頭への一撃から逃げるとき。このわずかな遅れにうまく対応できるよう、脳は実にすばらしい手助けをしてくれる。絶えず今から5分の1秒後に世界がどうなるかを予測し、それを現在として提示するのだ。

つまり、今この瞬間も、わたしたちはありのままの世界を見てはおらず、ほんのわずかだけ未来にあるはずの世界を見ている。言い換えれば、わたしたちはまだ存在していない世界を生きながら、一生を送るのだ。

人生の豊かさはすべて、脳でつくられる

脳はあなたのために、たくさんの方法で嘘をつく。音と光は、かなり異なる速度で届く。頭上を飛行機が通り過ぎる音がして顔を上げるときに、いつも経験している現象だ。空のどこかから音が聞こえるのだが、飛行機は別のどこかで静かに移動している。

もっと身近な周囲の世界では、たいてい脳が差異を調整して、すべての刺激が同時に届いているように感じさせる。同様に、脳は五感を形成するすべての要素をつくり上げている。

光の粒子である光子に色がなく、音波に音がなく、匂いの分子に匂いがないというのは、奇妙でにわかには信じがたいが、厳然たる真実だ。

イギリスの医師で作家のジェームズ・レ・ファニュは、こう語った。

「わたしたちは、木々の緑や空の青さが、あいた窓から流れ込むかのごとく目から入ってくることにたとえようのない感銘を受けるわけだが、実際には、網膜に衝突する光の粒子は無色で、同じく鼓膜に衝突する音波は無音、匂いの分子は無臭だ。それらはみんな、目に見えず重さもない、空間を移動する原子より小さい粒子なのだ」。

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人生の豊かさはすべて、頭の中でつくられる。見えているものは実際の姿でなく、そういう姿だと脳が教えているものであり、ふたつはまったく別のものだ。

1個の石鹼を思い浮かべてほしい。石鹼の泡は、石鹼自体がどんな色でも常に白く見えると気づいたことはあるだろうか? 濡らしてこすると石鹼が色を変えるわけではない。分子的には、もとのままだ。ただ、泡が光を異なる方法で反射しているにすぎない。

砂浜に打ち寄せる波も同じだし――エメラルドグリーンの水、白い泡――ほかにもそういう現象はたくさんある。それは色が固定した現実ではなく、知覚による認識だからだ。