世界中の全デジタルコンテンツを合わせたのと同じ記憶量
ただ静かに座って、まったく何もしていなくても、脳は30秒のあいだにハッブル宇宙望遠鏡が30年かかって処理してきたより多くの情報を激しくやり取りしている。
1立方ミリメートル――砂ひと粒くらいの大きさ――の大脳皮質一片に、2000テラバイトの情報を蓄えておける。これまでにつくられたあらゆる映画を、予告編を含めてすべて、あるいは本書を約12億冊保存できるほどだ。
ヒトの脳は合計で200エクサバイト(訳注1:エクサバイトは100京バイト、10の18乗)ほどの情報、『ネイチャー・ニューロサイエンス』誌によると「今日の世界の全デジタルコンテンツ」にほぼ匹敵する量を蓄えられると推定されている。それが宇宙でいちばんすばらしいものでないとしたら、奇跡のような別の何かは、きっとまだ見つかっていないのだろう。
頭の中についてわたしたちはまだ何も知らない
脳がどれほど徹底的に、どれほど長年にわたって研究されてきたかを考えると、いかに初歩的なことさえ解明されていないか、少なくとも広く合意が得られていないかに驚かされる。
たとえば、意識とは具体的にどういうものか? あるいは、思考とは具体的にどういうものか?
瓶の中にとらえたり、顕微鏡のスライドガラスに塗りつけたりできなくても、思考は明らかに、現実にある確かなものだ。思考することは、わたしたちにとって最も重要で輝かしい能力だが、生理学上の深い意味で、思考とはなんなのかを本当には理解していない。
だいたい同じことが、記憶にもいえる。記憶がどのように組み立てられ、どこにどんなふうに保存されるのかについては多くのことがわかっているが、なぜ残る記憶と残らない記憶があるのかはわからない。どう見ても、実際の価値や有用性にはほとんど関係がなさそうだ。
わたしは1964年のセントルイス・カーディナルズの先発出場選手をすべて憶えている――1964年以降のわたしにとってはまったく重要ではなかったし、その当時もたいして役立ちはしなかった――が、自分の携帯電話の番号や、大きな駐車場に駐めたときの車の位置や、妻にスーパーマーケットで買ってくるように言われた3つのものの3番めや、その他ものすごくたくさんの、間違いなく1964年のカーディナルズの先発メンバーよりも差し迫った必要のあることを忘れてしまう。