転職したプルデンシャルの社員2400人中、成績は最上位
転職した20年前、プルデンシャルは知名度も今ほどではなく、イチからキャリアを積み直すにはうってつけだと感じた。
企業のサラリーマンは若くしてトップのセールスをしても、報酬は年功序列が一般的だ。頑張っているのに正当な評価をされない人も多い。そうした日本式の評価に枠にはまらない上昇志向のある人がプルデンシャルには集まっていた。
当時の全営業社員が約2400人いて、転職1年目の成績はその上位5%に入る好成績だったが、「もっと上がいるのか」とレベルの高さに強い刺激を受けたという。それは危機感にもなった。
ランキングを公表され、順位付けされることにはPL時代から慣れている。数字(打率)は常についてまわった。「周囲の人にも、自分にも負けたくない」と黒木はそこから数年間、がむしゃらに営業に飛び回った。
マネジャーに昇進して年収は銀行員時代の数倍、そして支社長へ
そして2006年10月に管理職であるマネジャーになる。数十人の部下を持つ立場だ。自身のトータルの契約数は平均を大幅に上回る件数で、 年収も銀行員時代と比べて数倍大きくなった。
マネジャーに昇格した黒木は新しく立ち上がった新大阪の京阪支社第一営業所で、PLや社会人野球で培ったリーダーシップを発動させた。「単に大きいだけではなくて、強い営業所を作りたいと思っていました」。
同営業所は全国でもベスト5に入る成績を収めるまでに成長した。
「部下たちがみんな、『僕たちは黒木組。誇りを持っています』と。あるとき『新たに(黒木組の)支社を作りましょう』とまで言ってくれたんです」
そして、信頼できる部下のマネジャーらとともに2017年4月、“新しい支社”の大阪第二支社長に就任した。5人のマネジャーが付いてきてくれたが、普通はマネジャーが3人いれば多いほうで、5人は黒木がいかに慕われていたかの証だ。そこに現場で顧客に相対するライフプランナーが56人。現在、全国に約150ある支社の中で10番目ぐらいの規模の大きさを誇る。
常に頭の片隅にあるのは、数十人の部下は「転職して良かった」と感じているか、ということ。ライフプランナーが初めて営業に出る時は励ましの動画を作って送り出す。
「ライフプランナーがタイヤで、マネジャーがエンジン。野球なら、ライフプランナーが選手で、マネジャーがコーチ。支社長はハンドルを握る監督のような役割でしょうか。部下たちが足で稼いできたものを受けて、どれだけ正しく運転できるか。大きな責任を伴いますが、そういう仕事をまっとうし楽しむこと。それによって組織をさらに上向かせたいです」