畜産業界への挑戦

2008年8月、田中さんはこれまでにない試みを始めました。「放牧牛パートナー制度」です。

これは、経産牛だけではなく、子牛も放牧して育て、グラスフェッドの牛肉になるまでの4年間、年会費を支払ってくれるパートナーを募るもの。毎年1回、牛との交流会に招待し、牛肉となったときにはパートナー限定の販売会を行います。

この制度は、畜産業界への挑戦でした。

肉牛は、肉の質だけで評価されます。耕作放棄地や山林で自然の草を食べながら動き回る放牧牛は健康的な生活で脂肪が減り、赤身の肉が増えるのですが、日本では脂身のついた肉の人気が高く、ヘルシーな赤身の肉は安値で取引されます。

でも、放牧牛の赤身も美味しい。その味を知ってほしい。そう思った田中さんは、この現状を打破するために一般の人に放牧する意味や意義について広く知ってもらい、サポートしてもらおうと考えたのです。

そうして自分が手塩にかけた牛の命を、市場を通さず、パートナーに食べてもらうと考えた時に、一頭一頭、異なる個性を持った牛の存在も知ってほしいと考えて、交流会も盛り込みました。

緊張の糸が切れて

告知は自身のブログで行いました。クラウドファンディングのはしりともいえる先進的な取り組みに応募したのは、18名。想像以上の手ごたえを得た田中さんは、繁殖、削蹄の仕事をしながら、より一層、放牧の事業にも力を入れるようになります。

その活動は注目を集め、メディアにも取り上げられるようになりました。

写真提供=田中畜産

一方、プライベートでは2007年に結婚し、翌年には娘も誕生。全力ダッシュで駆け抜けるような日々のなかで、就農してからずっと張りつめていた緊張の糸が、ある日、ぷつりと切れました。

2011年の秋、うつ病を患ったのです。

不眠になり、なんのやる気も出ず、体を起こすこともできません。唯一できたのは、寝転がって漫画を読むことだけでした。

「僕、中学のとき、いじめられっ子だったんですよ。だから、いつか見返してやるっていうエネルギーが無茶苦茶大きくって、だからこそ、お金がないときも歯を食いしばってやれたっていうのは正直あって。でも、そのエネルギーが強すぎて、足元が見えなくなりました。珍しい取り組みをしていたからか、20代の後半頃からいろんな人に『すごい、すごい』と言われるようになった。けど、名前だけ売れて、中身が伴ってなかった。そのちぐはぐのなかで『うつ』になって、本当になにもできなくなりました」