一気に踏み込んだアクセル

風向きが変わったのは、3年目。小規模ながらも地道に事業を営んできたことが評価されて、地元の金融機関から融資を受けられるようになったのです。同じタイミングで、地元の農協から「牛舎を建てないか?」と声がかかりました。

田中さんは、ここでアクセルを一気に踏み込みました。3500万円の借金をして、次々に母牛を購入。2006年12月、28歳にして自社の牛舎で50頭を飼育するまでに事業を拡大したのです。

このころ、経産牛(お産を経験した母牛)の放牧も始めました。

通常、経産牛は3年から10年が経つと繁殖の役目を終えたとみなされ、肉牛として安く売られます。経産牛の肉は硬い、味が落ちると言われ、価格は和牛の3分の1以下。田中さんはその経産牛を春から秋まで放牧し、自然の草で育ててから「グラスフェッドビーフ」(草主体で飼育した牛肉)として売り出そうと考えていました。

なぜ、こんなに手間と時間のかかることをしようと考えたのでしょうか?

放牧されている肉牛
写真提供=田中畜産

一般的に肉牛のエサとして与えられている穀物飼料は、輸入品がほとんど。

一方で、日本は耕作放棄地や放置された山林が広がっています。放牧をしてそこに生えている草を与えることで、その資源をうまく活用することができます。ただ、子牛から牛肉にできる年ごろまで放牧すると成長に時間がかかります。

そこで目を付けたのが、経産牛。肉牛になる前の数カ月だけでも放牧に出すことで、少しでも持続可能な畜産に近づけようと考えました。

強気の言葉の裏側

しかし、ものごとを性急に進めすぎていたようです。

田中さんのブログの2006年12月の投稿には、「10年以内には100頭にする予定です」とあります。明るい未来と野心を感じさせる言葉ですが、内心は暗く沈んでいました。

雌牛を増やすにあたり、田中さんは何度かに分けて母牛を購入しました。牛舎をつくっている間、あちこちに小さな牛舎を借りて、その牛たちを管理していました。そのうち、すべての牛を見て回るのに、移動時間だけで2時間もかかるようになり、一頭、一頭に目が行き届かなくなって、何頭も死なせてしまったのです。

牛の購入費、エサ代、借金の返済などであっという間に首が回らなくなりました。ブログでは明るく、前向きなことしか発信していませんでしたが、それは強がりだったのです。

人生を変える出会い

両親に借金をしても足りず、どこかでアルバイトでもするしかないと思っていた時に手を差し伸べてくれたのは、以前、手伝いに行っていた繁殖農家の先輩でした。削蹄師の修業をしていたその先輩が、自分の師匠、淀弘さんを紹介してくれたのです。

人間と同じく、牛の爪も伸びます。それを放置しておくとケガや病気につながるため、定期的に爪を切る必要があります。