淀さんは全国で講習会を開くような著名な削蹄師でしたが、当時すでに高齢だったため、弟子はとらないと決めていました。しかし、田中さんの苦境を知った先輩が一緒に頭を下げてくれたことで、弟子入りさせてもらうことができたのです。これで、首の皮一枚つながりました。
「専門的な仕事で資格もいりますし、素人が簡単に入られる世界じゃないんです。でも、師匠の一門に入れてもらったことで、素人の僕がイチから学ばせてもらいながら、1年働くとそれなりの収入になりました。そのお金を牛につぎ込んで、なんとか復活できたんです」
田中さんに、「師匠と出会わなかったらどうなっていたんでしょうね?」と尋ねると、「(この業界に)もういないと思います」と即答しました。それほどの、人生を変える出会いでした。
削蹄師の仕事がもたらした成長
削蹄師の仕事は、収入面の助けになるだけでなく、牛飼いとしての成長にもつながりました。依頼を受けて牛の爪を切りに行くと、さまざまな繁殖農家、肥育農家と接します。そこで、それぞれの哲学、飼育方法を聞きながら、それが反映された牛の状態を継続的に見ることができました。また、自分の子牛を買ってくれた先では、順調に成長しているか、自分の目と手で確認することもできる。
それは、定期的に訪問する削蹄師にならなければできない経験で、なによりの学びになりました。さらに、同業者からも少しずつ認められるようになったのです。
「放牧のこともあって、最初のころはよそから来た変わり者だと思われていたんです。でも、但馬で信頼の厚い師匠や兄弟子のもとで修業しながら行動を共にすることで、こいつは信用してもいいかなって思ってもらえるようになりました」
ブログを始めた意外な理由
時計の針をほんの少しだけ巻き戻して、母牛50頭の飼育を始めた2006年末。
田中さんは、就農した時の目標を4年で達成しながらも、それまでに何頭も牛を亡くしたり、資金繰りが悪化したことで、メンタル的に落ち込んでいました。
そこで、気持ちを盛り上げようと、当時流行っていたビジネスコーチをつけました。すると、そのコーチから「人生のパートナーを見つけるほうが大事」と結婚を勧められ、自分を知ってもらうために情報発信するように助言されます。
確かにパートナーが欲しいと思った田中さんは、ブログをオープン。婚活目的で自己紹介を兼ねて日々の様子を書き続けているうちに読者の反応もあって楽しくなり、いつしか、田中さんのライフワークとなっていきました。
当時、同業者で自ら情報発信している人は皆無で、田中さんが自由に想いを綴るブログは批判の的になりました。「実力も経験もない若造が偉そうに」という理由です。
しかし、このブログと2006年から試験的に導入していた放牧を掛け合わせることで、現在につながる成功体験が生まれました。