「自分の運転は正しい」に潜むリスク

あおり運転をする加害者は絶対に許されるものではないが、自分が被害者にならないためのリスクのない運転方法を知っていればあおり運転のトラブルに巻き込まれないで済むだろう。これは自分が正しいかどうかではなく、他のドライバーの邪魔にならないようにするのがコツである。

例えば制限速度で走っているからといって、前方にクルマがいないのに追い越し車線を走っている状態は後続車にとって邪魔な存在になる。後ろから来て追いついたドライバーは、先に行きたいのに前のクルマが邪魔に感じる。これが、あおり運転が始まるきっかけだ。

追い越し車線を走るドライバーは、制限速度で走っているのだから自分は正しい、それを追い越すのはスピード違反だから許されない。だから追い越し車線を走り続けていても問題ないと考える。

しかしこの正義感あふれるドライバーも、前方にクルマがいないのに追い越し車線を走り続けるのは道交法違反になる。追い越しが終わったら走行車線に戻らなくてはならない。スピード違反はしていないが車線区分違反をしていることになる。

「迷惑をかけずに走ることが運転の大原則」

これは「〜すべき」という正義感がぶつかりあっている可能性があるということだ。

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「制限速度は守るべき」という正義感の下で走っているドライバーがいて、反対に「のんびり走っているクルマは後続車に追いつかれたらよけるべき」という正義感の下で走っているドライバーがいる。互いに正義感から相手に運転の仕方を要求していることになる。これがエスカレートすると、車間距離を詰めてみたり、後ろから急かされてブレーキを踏んで対抗するところから、あおり運転に発展してしまうのだ。

ドイツでも運転免許を取るときに「ファーシューレ(fahrschule)」と呼ばれる教習所に通う。日本のように箱庭コースを走るのではなく、実技のほとんどは一般道で練習する。最初に「運転とはどういうものか」という運転哲学を教わる。それは、「道路全体を俯瞰視して常に周囲に気を配り、迷惑をかけずに走ることが運転の大原則」というものだ。

日本の教習所では道路交通法を守って走ることを教えられるが、その道交法の第一条にはこう書かれている。

「この法律は、道路における危険を防止し、その他の交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」

つまり、安全と円滑な道路交通をドライバー全員が目指さなくてはならないのは、どの国でも同じということだ。