ニュースなどでもよく取り上げられる「あおり運転」は、極端に車間距離を詰めてきたり、幅寄せをするなどして運転の邪魔をする危険な行為だ。精神科医の井上智介さんは「あおり運転をする人の心理には、いくつか共通の傾向がある」という――。
ドライブレコーダー
写真=iStock.com/Yuto photographer
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「あおり運転」は増えているわけではない

最近、あおり運転についてのニュースを見聞きすることが多く、あおり運転が増えてきたと感じている人も多いのではないでしょうか。しかし実は、あおり運転そのものは昔から存在していました。スマートフォンやドライブレコーダーが普及し、あおり運転の瞬間を映像として目にする機会が増えたために、「あおり運転が増えた」という印象が広がったのです。

そして、たいていの人が、あおり運転のニュースを見て「自分はあんな運転はしない」と思っていることでしょう。でも実は、誰もがちょっとしたきっかけで豹変ひょうへんして、あおり運転をする可能性があります。あおり運転をする人の心理の傾向を見ていきましょう。

「公」「私」の境界があいまいになってしまう

多くの人は、公私別々の顔を持っています。会社などの家の外では「公」、家というプライベート空間では「私」という顔を使い分けながら生きています。

外では理性が働いて自己中心的な行動を慎みますが、家の中では、人目を気にせず、外ではできないような自分中心の行動をすることが多いと思います。プライベートの空間は、理性が甘くなることが多いのです。

もちろん他人に危害を加えたり、不愉快な思いをさせたりしないのであれば、自分中心の行動であっても何の問題もありません。例えば部屋を散らかし放題にしても、同居人が不愉快でなければいいわけです。

しかし、車の中というのは、「公か私か」の境界線があいまいな、不思議な空間です。

本来、車を運転するときは公道を走っているので、当然ながら「公」のシチュエーションのはずです。車がいるのは「公」の場なのに、自分自身は「私」の空間にいる。物理的に車の中というプライベート空間にいるため「私」の意識が強くなって、理性のコントロールが利かなくなり、車の運転までも自己中心的になって、あおり運転に発展してしまうのです。「普段は穏やかなのに、ハンドルを握ると豹変してしまう」という人も、理由は同じです。

こうした構図は、DV(家庭内暴力)や虐待とも似ています。DV加害者も、家の外では穏やかで「いい人」なのに、家に帰って家族だけになるとDVをするというケースが多い。それは、「私」の空間では、「公」の場で保っていた理性が緩んでしまうからなのです。