「意味がある」はスキルでは作れない
通常は社会の文明的側面が一定の水準を超えると文化的側面での価値創出へとシフトするんですけど、日本ではその流れはバブル崩壊の冷水で出端を挫かれてしまうんですね。
その結果、相変わらず「役に立つ」という軸での価値創出からシフトできないでいるんですが、「役に立つ」ということを追求していると、そのうち逆に「役に立たない」ものを生み出すことになります。
典型的な例が家電製品のリモコンですね。うちのテレビのリモコン、ボタンが65個付いているんですよ。普段使うボタンは4つなので残りの61個はそれこそ「役に立たない」んですね。
どうしてこういうことになっちゃうのかというと、「役に立つ」という軸から離れられないからです。なぜ離れられないのかというと、「役に立つ」はスキルとサイエンスでなんとかなるけど「意味がある」はセンスとアートが必要になるからです。
【楠木】今の山口さんのお話で僕が思ったのは、まず、今までは「問題の量」が「解決策の量」を大きく上回っていた。それが、だんだん解決策のほうが過剰になってしまうという量的な問題。
もうひとつは、昔あった問題というのは今そこにある誰が見ても同じ、明らかな問題だったということ。「暑い」とか、「食べ物が腐った」とか。ところが、「意味」が問題になると、人によって違う。
「意味があるのか、ないのか」という問題になると、これは人によって違うということが出てくるわけです。これは質的な問題ですね。
「役に立つ」を突き詰めた結果、大ヒットしたホンダのスーパーカブ
【楠木】グローバルで成功を収めた日本の会社というか、特定の商品と言ったほうが正確ですが、ホンダのスーパーカブ。これは化け物のような工業製品です。
最近、ある本を読んで「へぇ?」と思ったんですけど、スーパーカブがこれまでに世界でつくられたモビリティ商品のなかで、もっとも累積で売れているんですね。世界生産台数が1億台を超えている。
しかも、現役の商品として今でも日々記録を更新し続けている。何がすごいのかというと、日本で売っているスーパーカブは1957年の最初のモデルと基本的に同じ技術や構造をそのまま維持しているということです。
これは掛け値なしに偉業だと思うんですね。スーパーカブはものすごく「役に立つ」ものだったんですけれども、それが本質みたいなものをがっちり捉えすぎちゃっていて、「もっと役に立つ」の方向に行くというよりも、結果的にそれとは別系統の何かしらの「意味」を持つところまでいった。
そういう日本発のケースというのはほかにもあって、僕が手伝っている会社で言うとファーストリテイリングのユニクロ事業はそこを目指していると思うんですよね。大衆に向けたマス・プロダクションだけれども、「用の美」というか、役に立つを突き詰めていった先に美意識が出てくる。独自の意味を持つようになる。
これは日本発のイノベーションのひとつのモデルだと思います。ところが、多くの会社は先ほどのリモコンの例にもあるように、効用がどんどん小さくなるにもかかわらず、余計な機能を使う、加えるという形で「役に立つ」の方向へ無理していってしまう。
スーパーカブのほうがビックバイクよりも“情緒的”なものになった
【山口】スーパーカブが面白いのは、スーパーカブを製造して提供する企業側ではなく、その製品を受け止める市場側が意味をつくっていった、というところにあると思うんです。もともとホンダはハーレーダビッドソンのようなビッグバイクでアメリカ市場に進出しようとしたけれども、なかなかうまくいかなかった。
そんなときにスーパーカブを営業の移動用に使っているホンダの社員を見た販売店員に、「むしろあっちのほうが欲しいんだけど」と言われて売り出したら、それまでの「ヘルズ・エンジェルスのような無頼漢たちの乗り物」というバイクの凶悪なイメージが、善良でナイスな人たちによって「健全ですごく便利な乗り物」というイメージに変わっていった。
市場の中でユーザー側が勝手にスーパーカブのイメージをつくっていったというところがありました。ビッグバイクというのは移動手段のツールというよりも情緒的なツールで、そういう意味では「役に立つ」より「意味がある」ものですね。
それを売ろうとして結局はうまくいかなかったところ、移動手段としてきわめて便利で「役に立つ」スーパーカブが売れたところ、市場の中で「善良でナイスな人たちの乗り物」という意味まで生まれてしまった。